皇極天皇(九)息長足日広額天皇の埋葬

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皇極天皇(九)息長足日広額天皇の埋葬

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原文

十二月壬午朔、天暖如春氣。甲申、雷五鳴於晝、二鳴於夜。甲午、初發息長足日廣額天皇喪。是日、小德巨勢臣德太、代大派皇子而誄。次小德粟田臣細目、代輕皇子而誄。次小德大伴連馬飼、代大臣而誄。乙未、息長山田公、奉誄日嗣。辛丑、雷三鳴於東北角。庚寅、雷二鳴於東、而風雨。壬寅、葬息長足日廣額天皇于滑谷岡。是日、天皇遷移於小墾田宮。(或本云、遷於東宮南庭之權宮。)甲辰、雷一鳴於夜。其聲若裂。辛亥、天暖如春氣。

現代語訳

(即位1年)12月1日。天が暖かくて春の気配のようでした。
12月3日。雷が5回、昼に鳴り、2回、夜に鳴りました。
12月13日。初めて息長足日広額天皇(オキナガタラシヒヒロヌカノスメラミコト=舒明天皇)の葬式をしました。この日に小徳の巨勢臣徳太(コセノオミトコダ)が大派皇子(オオマタノミコ=敏達天皇の子でこの時、かなりの年齢だと思われる)の代わりに誄(シノビゴト=死者に言葉を捧げること)をしました。次に小徳の粟田臣細目(アワタノオミホソメ)は軽皇子(カルノミコ=のちの孝徳天皇)に変わって誄(シノビゴト)をしました。小徳の大伴連馬飼(オオトモノムラジウマカイ)が大臣に代わって誄(シノビゴト)をしました。
12月14日。息長山田公(オキナガノヤマダノキミ)は日嗣(ヒツギ=天皇位を継ぐこと)を偲び祀りました。
12月20日。雷が3度、東北の角に鳴りました。

12月9日。雷が2度東に鳴り、風が吹き、雨が降りました。

12月21日。息長足日広額天皇を滑谷岡(ナメハサマノオカ)に葬りました。この日に天皇は小墾田宮(オハリダノミヤ)に遷移しました。
ある本によると東宮(ヒツギノミヤ)の庭の権宮(カリミヤ=仮の宮)に移ったといいます。

12月23日。雷が1度、夜に鳴りました。その声は裂けるようでした。
12月30日。天が暖かくて、春の気配のようでした。
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解説

皇極天皇の夫。舒明天皇が亡くなってから1年3ヶ月後のこのページで、やっと葬りました。日本では殯(モガリ)というのをやっていました。遺体をすぐに埋葬するのではなく、まず殯宮に安置して、白骨化するまで待ちます。その後、古墳に収めます。

井沢元彦さんが言うには、殯から埋葬までの時間が短い場合、それは「さっさと死んでくれ」という意味で、要は死者が何かしらの強い未練を持って死んだから、つまり、殯から埋葬までの時間が短い場合は、暗殺や憤死の可能性が高いというわけです。

となると舒明天皇はかなり丁寧に葬られた部類で、円満に死亡したとなります。
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