天智天皇(四十一)水臬・中臣部若子を献上

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天智天皇(四十一)水臬・中臣部若子を献上

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原文

二月戊辰朔庚寅、百濟、遣臺久用善等進調。三月戊戌朔庚子、黃書造本實、獻水臬。甲寅、常陸国、貢中臣部若子、長尺六寸、其生年丙辰至於此歲十六年也。

現代語訳

(即位10年)2月23日。百済は台久用善(ダイクヨウゼン)たちを派遣して調(ミツキ=税)を献上しました。

3月3日。黄書造本実(キフミノミヤツコホンジツ)は水臬(ミズハカリ=水準器)を献上しました。
3月17日。常陸国は中臣部若子(ナカトミベノワクゴ=中臣氏の部曲のこと)を献上しました。長さは1尺6寸(=48センチ)。その生まれた年は丙辰(ヒノエタツノトシ=656年)からこの年に至るまで16年です。
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解説

中臣部若子
16歳で身長が48センチ。
これが事実ならば、小人症でしょう。小人症でもかなりキツイ。ギネスブックに載る「最も小さい人」でも57センチとかその辺りです。ちなみに日本書紀に出てくる「侏儒」というのも小人症の事かもしれません。
侏儒にはおバカさんというニュアンスもある。

ところで、現在の日本人は障害者がいると目を背けるのが「常識」ですよね。しかし、中世のヨーロッパでは小人症は一種の愛玩として人気がありました。ベラスケスの有名な絵画の「道化」は宮廷に小人症の人が出入りしていたため書かれた絵画です。古代の日本も同様の感覚を持っていたとしても不思議じゃありません。退屈な宮廷にミョウチクリンな人間がやってきたらそりゃテンションが上がるってものです。

常陸にそういう小人症の人が生まれた。日本人は子供を敬う文化です。日本の英雄はみんな子供。これは種子が来年には沢山の収穫になるという農耕民族の感覚から来ていると思われます。だからいつまでも子供の姿のままの小人症は、いつまでもエネルギーに溢れた存在に見えたでしょう。
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