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天智天皇(一)即位まで経緯
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天命開別天皇、息長足日廣額天皇太子也、母曰天豊財重日足姫天皇。天豊財重日足姫天皇四年、讓位於天萬豊日天皇、立天皇爲皇太子。天萬豊日天皇、後五年十月崩、明年皇祖母尊卽天皇位、七年七月丁巳崩、皇太子素服稱制。
現代語訳
天命開別天皇(アメミコトヒラカスワケノスメラミコト=天智天皇)は、息長足日広額天皇(オキナガタラシヒヒロヌカノスメラミコト=舒明天皇)の太子です。母は天豊財重日足姫天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト=斉明天皇=皇極天皇)と言います。天豊財重日足姫天皇(=皇極天皇)が即位した4年に位を天万豊日天皇(アメヨロズトヨヒノスメラミコト=孝徳天皇)に譲りました。天皇を立てて、皇太子となりました。天万豊日天皇は即位5年の10月に崩御しました。その明る年に皇祖母尊(スメミオヤノミコト=孝徳天皇の母親=皇極天皇)が天皇に即位しました。
(斉明天皇の)即位7年7月24日に崩御しました。皇太子(=中大兄皇子=天智天皇)は素服(アサモノミソ=白い服)で称制(マツリゴトキコシメス=実務を取る)
(斉明天皇の)即位7年7月24日に崩御しました。皇太子(=中大兄皇子=天智天皇)は素服(アサモノミソ=白い服)で称制(マツリゴトキコシメス=実務を取る)
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解説
天智天皇は中大兄皇子のこと。中大兄皇子は皇極天皇の即位4年に中臣鎌足とともに蘇我入鹿暗殺の歴史的な大クーデターを起こしています。日本書紀を読む限り、入鹿暗殺を実際に行った……斬り殺したのは中大兄皇子。
その結果、次の天皇についたのが孝徳天皇。孝徳天皇と中大兄皇子の仲が悪かったのか、孝徳天皇を難波宮に置いてけぼりにして、中大兄皇子と皇極天皇(のちの斉明天皇)と孝徳天皇の妻である間人皇女は大和の飛鳥に移動します。すると役人までもが飛鳥に移動してしまいます。これは実質の権力が中大兄皇子・皇極天皇にあったという意味です。その後、孝徳天皇は崩御。それでやっと中大兄皇子が即位するのかとおもいきゃ、皇極天皇がもう一度天皇をして、斉明天皇となり、その斉明天皇が崩御してやっと中大兄皇子が即位です。
中大兄皇子が皇太子でありながら、皇極天皇を操り、全てを裏で糸を引いていた、というのが一般的な見方なんですが、いや、それならば皇極天皇が二度即位するのは、理屈に合わないんじゃないかと思います。中大兄皇子にそれだけの権力があるのならば、皇極天皇の次に天智天皇か、暗殺の首謀者でさすがにそれが厳しいならば、孝徳天皇の次に天智天皇でいいでしょう。
皇極天皇にはそれなりに権力があった。というか案外と皇極天皇が蘇我入鹿暗殺(乙巳の変)の首謀者なんじゃないかと思っています。
その結果、次の天皇についたのが孝徳天皇。孝徳天皇と中大兄皇子の仲が悪かったのか、孝徳天皇を難波宮に置いてけぼりにして、中大兄皇子と皇極天皇(のちの斉明天皇)と孝徳天皇の妻である間人皇女は大和の飛鳥に移動します。すると役人までもが飛鳥に移動してしまいます。これは実質の権力が中大兄皇子・皇極天皇にあったという意味です。その後、孝徳天皇は崩御。それでやっと中大兄皇子が即位するのかとおもいきゃ、皇極天皇がもう一度天皇をして、斉明天皇となり、その斉明天皇が崩御してやっと中大兄皇子が即位です。
中大兄皇子が皇太子でありながら、皇極天皇を操り、全てを裏で糸を引いていた、というのが一般的な見方なんですが、いや、それならば皇極天皇が二度即位するのは、理屈に合わないんじゃないかと思います。中大兄皇子にそれだけの権力があるのならば、皇極天皇の次に天智天皇か、暗殺の首謀者でさすがにそれが厳しいならば、孝徳天皇の次に天智天皇でいいでしょう。
皇極天皇にはそれなりに権力があった。というか案外と皇極天皇が蘇我入鹿暗殺(乙巳の変)の首謀者なんじゃないかと思っています。
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天智天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 天智天皇(一)即位まで経緯
- Page2 天智天皇(二)蘇將軍と契苾加力
- Page3 天智天皇(三)前将軍と後将軍を任命して百済救援軍を派遣
- Page4 天智天皇(四)狹井連檳榔と秦造田来津を豊璋救援に派遣
- Page5 天智天皇(五)高麗の浿が凍り、唐兵が泣く
- Page6 天智天皇(六)狹夜郡の禾田の剣・加巴利浜の灰の鳴鏑
- Page7 天智天皇(七)百済の救援・鼠が馬の尾の上で子を生む
- Page8 天智天皇(八)豊璋の百済入り・王を継ぐ・福信に爵禄を与える
- Page9 天智天皇(九)州柔から避城へ
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