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天智天皇(三)前将軍と後将軍を任命して百済救援軍を派遣
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八月、遣前將軍大花下阿曇比邏夫連・小花下河邊百枝臣等・後將軍大花下阿倍引田比邏夫臣・大山上物部連熊・大山上守君大石等、救於百濟、仍送兵杖・五穀。(或本續此末云、別使大山下狹井連檳榔・小山下秦造田來津、守護百濟。)
現代語訳
(斉明天皇即位7年)8月。前の将軍として大花下(ダイカゲ)の阿曇比邏夫連(アズミノヒラブノムラジ)・小花下(ショウカゲ)の河辺百枝臣(カワヘノモモエノオミ)たち、後の将軍として、大花下の阿倍引田比邏夫臣(アヘノヒケタノヒラブノオミ)・大山上(ダイセンジョウ)の物部連熊(モノノベノムラジクマ)・大山上の守君大石(モリノキミオオイワ)などを派遣して百済を救わせようとしました。それで兵杖(ツワモノ=武器)・五穀(イツツノタナツモノ)を送りました。
ある本によると、この文末に続けて、別に大山下の狹井連檳榔(サイノムラジアジマサ)・小山下の秦造田来津(ハタノミヤツコタクツ)を派遣して百済を守護させたと言います。
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解説
前将軍と後将軍
軍隊は前と後ろの2軍か、前・中・後ろの3軍で編成していました。
軍隊は前と後ろの2軍か、前・中・後ろの3軍で編成していました。
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天智天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 天智天皇(一)即位まで経緯
- Page2 天智天皇(二)蘇將軍と契苾加力
- Page3 天智天皇(三)前将軍と後将軍を任命して百済救援軍を派遣
- Page4 天智天皇(四)狹井連檳榔と秦造田来津を豊璋救援に派遣
- Page5 天智天皇(五)高麗の浿が凍り、唐兵が泣く
- Page6 天智天皇(六)狹夜郡の禾田の剣・加巴利浜の灰の鳴鏑
- Page7 天智天皇(七)百済の救援・鼠が馬の尾の上で子を生む
- Page8 天智天皇(八)豊璋の百済入り・王を継ぐ・福信に爵禄を与える
- Page9 天智天皇(九)州柔から避城へ
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