天智天皇(五)高麗の浿が凍り、唐兵が泣く

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天智天皇(五)高麗の浿が凍り、唐兵が泣く

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原文

十二月、高麗言「惟十二月於高麗国寒極浿凍、故唐軍雲車衝輣鼓鉦吼然。高麗士卒膽勇雄壯、故更取唐二壘、唯有二塞、亦備夜取之計。唐兵、抱膝而哭、鋭鈍力竭而不能拔。」噬臍之恥、非此而何。(釋道顯云「言春秋之志正起于高麗、而先聲百濟。百濟、近侵甚苦急、故爾也。」)

現代語訳

(斉明天皇即位7年)12月。高麗が言いました。
「この12月に高麗国は極めて寒く、浿(エ=川の名前=鴨緑江か大同江)が凍ってしまった。そのため、唐の軍は雲車(タカクルマ=敵の様子を見る背の高い車)・衝輣(ツキクルマ=城門を突き破る車)があり、鼓や鐘が鳴り響いていました。高麗は士卒(イクサビト=兵士)は胆が勇ましく、雄々しいので、二つの城塞を取りました。ただ、二つの城塞が残っていました。夜にその城塞を取る、計画があって準備していました。すると唐の兵士は膝を抱えて泣きました。(それを聞いた高麗の兵士は)戦意を失い、力を無くしてしまって、剣を抜くことができませんでした」
臍(ホゾ)を噛むような恥とは、これでなくては何だというのか。
釈(ホウシ=法師)の道顯(ドウケン)が言うには、春秋(シュンシュウ=金春秋)の志は、高麗に起こったと言います。まずは百済にその声を聞かせようとした。百済はこの時期に、侵略されることが激しくて、苦しんでいました。それで、こう言ったのです。
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解説

唐に侵略される高麗
非常に強い国だった高麗は、百済と新羅を圧迫していました。しかし新羅が唐の属国となり、新羅と唐に両側から攻められるとたまらない。旗色が悪くなってきます。

それでも高麗まで唐が遠征にやってくると、かなりの距離を移動することになります。疲弊しますし、見ず知らずの土地ですから、唐軍が数に物を言わすと言っても限度があります。それで高麗を圧迫するものの、なかなかうまくは行きません。

唐の兵士は見知らぬ土地にやってきて、しかもめちゃくちゃに寒いですから、膝を抱えて苦しくて泣いちゃって、それを聞いた高麗の兵士がやる気をなくした。かわいそうだなぁ、って。

でも、数の上では唐はかなりの有利な立場ですから、ここで同情したことが、後々に高麗にとってヤバイ状況を招くことになります。しかし高麗の兵士たちもそもそもは、戦争したくて兵士になったわけじゃない。唐の兵士も故郷に帰れば妻も子もいるでしょう。本当は家族とともに過ごし、畑を耕すのが人生ってものです。高麗の兵士は唐の兵士に感情移入しちゃったのでしょう。誰も殺し合いを望んでいない。立場としては同じですからね。そうなると、高麗軍はこれ以上は追い打ちができない。

高麗の軍の上層は戦争のプロですから、「勝てる時にしっかりと勝つ」というのが当然なわけです。この時に哀れんで見逃した兵士に後々殺されるかもしれないのです。追い打ちできない状況は、まさに「ホゾを噛む」ような思いだったでしょうね。
道顯のコメント
道顯は日本世紀という本を残した僧です。この一文はよく分からない文章とされます。まぁ、金春秋という新羅の王が、朝鮮半島を統一する「志」を高麗の土地でか、高麗に責められた時に思い立ったのではないか、もしくは、世間がそう考えたのではないかと。
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