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あしひきの 山田を作り 山高み
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天皇、崩りし後に木梨の輕の太子の日繼知らすを定めたるに、未だ位に即かぬ間に、其の伊呂妹、輕の大郎女を姦して歌いて曰く、
阿志比紀能 夜麻陀袁豆久理 夜麻陀加美 斯多備袁和志勢 志多杼比爾 和賀登布伊毛袁 斯多那岐爾 和賀那久都麻袁 許存許曾婆 夜須久波陀布禮
此は志良宜歌なり。また歌いて曰く、
佐佐波爾 宇都夜阿良禮能 多志陀志爾 韋泥弖牟能知波 比登波加由登母 宇流波斯登 佐泥斯佐泥弖婆 加理許母能 美陀禮婆美陀禮 佐泥斯佐泥弖婆
これは夷振之上歌である
阿志比紀能 夜麻陀袁豆久理 夜麻陀加美 斯多備袁和志勢 志多杼比爾 和賀登布伊毛袁 斯多那岐爾 和賀那久都麻袁 許存許曾婆 夜須久波陀布禮
此は志良宜歌なり。また歌いて曰く、
佐佐波爾 宇都夜阿良禮能 多志陀志爾 韋泥弖牟能知波 比登波加由登母 宇流波斯登 佐泥斯佐泥弖婆 加理許母能 美陀禮婆美陀禮 佐泥斯佐泥弖婆
これは夷振之上歌である
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現代語訳
允恭天皇が崩御した後に、木梨軽太子(キナシノカルノヒツギノミコ)が次の皇位を継ぐことが決まっていましたが、まだ皇位についていない時のことです。木梨軽太子(キナシノカルノヒツギノミコ)の同母妹の軽大郎女(カルノオオイラツメ)を犯して歌いました。
あしひきの 山田を作り 山高み 下桶(シタビ)を走(ワシ)せ 下訪(シタド)ひに 我が娉(ト)う妹を 下泣(シタナ)きに 我が泣く妻を 今夜こそは 安く肌触れ
これは志良宜歌(シラゲウタ)です。また歌いました。
笹葉に 打つ霰(アラレ)の たしだしに 率寝てむ後は 人は離(カ)ゆとも 愛(ウルワ)しと さ(然)寝しさ寝ねてば 刈薦(カリコモ)の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば
これは夷振之上歌(イナブリノアゲウタ)です。
あしひきの 山田を作り 山高み 下桶(シタビ)を走(ワシ)せ 下訪(シタド)ひに 我が娉(ト)う妹を 下泣(シタナ)きに 我が泣く妻を 今夜こそは 安く肌触れ
歌の訳(あしひきの、は山の枕詞)山に田んぼを作った。山の高いところに作ったから水が引けない。そこで下桶(シタビ)という地中に通す水路を通した。そんな下桶のようにコッソリと(下訪はコッソリという意味)私は妹に求婚している。慕い泣く私の妻に今夜こそは心安らかに肌に触れよう
これは志良宜歌(シラゲウタ)です。また歌いました。
笹葉に 打つ霰(アラレ)の たしだしに 率寝てむ後は 人は離(カ)ゆとも 愛(ウルワ)しと さ(然)寝しさ寝ねてば 刈薦(カリコモ)の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば
歌の訳笹の葉に打つ霰(アラレ)が「タシダシ(確か確かと掛けている)」と音を立てる。確かに……添い寝して、その後は人が離れて行こうとも愛しいものです。添い寝して、刈り取った薦(コモ=藁で編んだムシロ)が乱れに乱れても愛しいものです。添い寝することが出来るのならば。
これは夷振之上歌(イナブリノアゲウタ)です。
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解説
近親相姦の大事件
允恭天皇の子供の木梨軽王と軽大郎女(別名、衣通郎女)が近親相姦してしまいます。軽大郎女はその美しい姿のあまりに光を発し、その光が衣を通り抜けることから「衣通郎女(ソトホリノイラツメ)」とも呼ばれる美女。
古代の日本では母親が違えば妹と結婚しても構わないのですが、さすがに同腹兄妹はマズイということで、大事件となりました。母親違いだと近親相姦にならないのは、日本がそもそもは「女系社会」であり、女ボスからその娘へと権力が移譲していくことが原因じゃないか?と個人的には思っているんですが、王族が近親交配するのはどこの国でもあることなので、推測ですね。
妹とは「愛する人」という意味
「あしひきの 山田を作り」という歌は「妹」という文字が入っているので、どうも近親相姦の歌っぽく見えますが、古代では妹という文字は「愛する人」という意味で使われるので、そう読むと、そんな変な歌ではありません。農業技術に引っ掛けた単なるラブソングです。「笹葉に 打つ霰(アラレ)の」も同様です。
允恭天皇の子供の木梨軽王と軽大郎女(別名、衣通郎女)が近親相姦してしまいます。軽大郎女はその美しい姿のあまりに光を発し、その光が衣を通り抜けることから「衣通郎女(ソトホリノイラツメ)」とも呼ばれる美女。
古代の日本では母親が違えば妹と結婚しても構わないのですが、さすがに同腹兄妹はマズイということで、大事件となりました。母親違いだと近親相姦にならないのは、日本がそもそもは「女系社会」であり、女ボスからその娘へと権力が移譲していくことが原因じゃないか?と個人的には思っているんですが、王族が近親交配するのはどこの国でもあることなので、推測ですね。
妹とは「愛する人」という意味
「あしひきの 山田を作り」という歌は「妹」という文字が入っているので、どうも近親相姦の歌っぽく見えますが、古代では妹という文字は「愛する人」という意味で使われるので、そう読むと、そんな変な歌ではありません。農業技術に引っ掛けた単なるラブソングです。「笹葉に 打つ霰(アラレ)の」も同様です。
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允恭天皇(古事記)の表紙へ
- Page1 允恭天皇の皇后・妃と子息子女
- Page2 長いこと患っている病気があるので日嗣を継承することは出来ないのです
- Page3 味白檮の言八十禍津日の前に玖訶瓰を置いて
- Page4 あしひきの 山田を作り 山高み
- Page5 大前小前宿禰が 金門陰 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ
- Page6 天だむ 軽の乙女 甚泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の下泣きに泣く
- Page7 大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ
- Page8 こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て
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