スポンサードリンク
大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket読み下し文
故、其の輕の太子は伊余の湯に流しき。また將に流さんとせし時に歌いて曰く、
阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥
此の三つの歌は天田振なり。 また歌いて曰く、
意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀都麻波由米
此の歌は夷振の片下なり。
阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥
此の三つの歌は天田振なり。 また歌いて曰く、
意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀都麻波由米
此の歌は夷振の片下なり。
現代語訳
軽太子(カルノヒツギノミコ)は伊余湯(イヨノユ=道後温泉)に流されてしまいました。そのまさに流されようとしているときに歌いました。
天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
この三つの歌は天田振(アマタブリ)です。
大君を 島に放らば 船余り(フナアマリ) い帰り来むぞ 我が畳斎目(タタミユメ) 言をこそ 畳と言はめ 我が妻は斎目(ユメ)
夷振(ヒナブリ)の片下(カタシモ)です。
天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
歌の訳天を飛ぶ鳥は私の使いの者です。鶴の声が聞こえた時は私の名前を尋ねてください。
この三つの歌は天田振(アマタブリ)です。
大君を 島に放らば 船余り(フナアマリ) い帰り来むぞ 我が畳斎目(タタミユメ) 言をこそ 畳と言はめ 我が妻は斎目(ユメ)
歌の訳大君を島に放せば(「船余る」は帰るの枕詞・詳細は不明)帰ってくるから、私の畳を汚さないよう。言葉で「畳」と言ったが、ようは妻は汚れないよう(浮気するなよってこと)。
夷振(ヒナブリ)の片下(カタシモ)です。
スポンサードリンク
解説
天田振(アマタブリ)
三つの歌というのは「天だむ 軽の乙女 甚泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の下泣きに泣く」で歌われた
天(アマ)だむ 軽(カル)の乙女(オトメ) 甚(イタ)泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の 下(シタ)泣きに泣く
天だむ 軽乙女 したため 寄り寝て通れ 軽乙女ども
とこのページで歌った
天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
です。全て「天」から始まっていることが「天田振」という名前の由来かと思われます。
三つの歌というのは「天だむ 軽の乙女 甚泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の下泣きに泣く」で歌われた
天(アマ)だむ 軽(カル)の乙女(オトメ) 甚(イタ)泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の 下(シタ)泣きに泣く
天だむ 軽乙女 したため 寄り寝て通れ 軽乙女ども
とこのページで歌った
天飛ぶ 鳥も遣いそ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね
です。全て「天」から始まっていることが「天田振」という名前の由来かと思われます。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
允恭天皇(古事記)の表紙へ
- Page3 味白檮の言八十禍津日の前に玖訶瓰を置いて
- Page4 あしひきの 山田を作り 山高み
- Page5 大前小前宿禰が 金門陰 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ
- Page6 天だむ 軽の乙女 甚泣かば 人知りぬべし 波佐の山 鳩の下泣きに泣く
- Page7 大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ
- Page8 こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て
スポンサードリンク