こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て

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こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て

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読み下し文

其の衣通の王、歌を獻りき。其の歌に曰く、
那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐加比爾 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富禮
故、後にまた戀い慕ぶに堪えずして追い往きし時に、歌いて曰く、
岐美賀由岐 氣那賀久那理奴 夜麻多豆能 牟加閇袁由加牟 麻都爾波麻多士
此云山多豆者 是今造木者也

故、追い到りし時に待ち懷きて歌いて曰く、
許母理久能 波都世能夜麻能 意富袁爾波 波多波理陀弖 佐袁袁爾波 波多波理陀弖 意富袁爾斯 那加佐陀賣流 淤母比豆麻阿波禮 都久由美能 許夜流許夜理母 阿豆佐由美 多弖理多弖理母 能知母登理美流 意母比豆麻阿波禮
また歌いて曰く、
許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知 斯毛都勢爾 麻久比袁宇知 伊久比爾波 加賀美袁加氣 麻久比爾波 麻多麻袁加氣 麻多麻那須 阿賀母布伊毛 加賀美那須 阿賀母布都麻 阿理登伊波婆許曾爾 伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米
かく歌いて即ち共に自ら死にき。 故、此の二つの歌は讀歌なり。
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現代語訳

衣通王(ソトオリノミコ)は歌を奉りました。その歌は…
夏草の 相寝の浜の 牡蠣貝に 足踏ますな 明かして通れ
歌の訳(「夏草の」は「寝」に掛かる枕詞)相寝の浜(=地名と思われるが未詳)の牡蠣の貝殻を足で踏まないように、夜が明けてから通って来てください。

そのあとも恋慕う気持ちに耐えられず軽太子を追って行ったときに歌いました。
君が行き け長くなりぬ 山多豆の 迎へを行かむ 待つには待たじ
歌の訳あなたが出て行ってから、もう長い時間が過ぎました。(「山たず」は「迎え」の枕詞)迎えに行きます。待っていられないのです。

「山多豆」は現在の造木(ミヤツコキ=ニワトコ・タマツバキ・ネズミモチなど葉っぱが向かい合わせについている植物)です。

衣通王(ソトオリノミコ)が追いついたときに、軽太子が懐かしく思って歌いました。
こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て さ小峰には 旗張り立て 大小にし 仲定める 思ひ妻あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 起てり起てりも 後も取り見る 思ひ妻あはれ
歌の訳(「こもりくの」は泊瀬の枕詞)泊瀬の山の大峰に旗を立てて、小さな峰にも旗を立てて、(「大小にし【おほをにし】」は「仲」の枕詞)仲のよい愛しい妻よ。(「槻弓の」は「臥」の枕詞)寝ている時も、(「梓弓」は「起」の枕詞)起きているときも、これから後も見守っているよ。愛しい妻よ。

また歌いました。
こもくりの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を掛け 真杭には 真玉を掛け 真玉なす 我が思ふ妹 鏡なす 我が思う妻 有と言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ
歌の訳(こもりくは泊瀬の枕詞)泊瀬川(=奈良県桜井市初瀬川)の上の瀬に斎杙(イクイ=神聖な杭)を打ち、下の瀬には真杙(マクイ=立派な杭)を打ち、斎杙(イクイ=神聖な杭)には鏡を掛けて、真杙(マクイ=立派な杭)には立派な玉(=宝石)を掛けます。立派な玉のように私は妹を思う。その鏡のように思う妻がいるのならば、家にも行くだろう。故郷を懐かしく思うだろう。

こう歌ってすぐに二人で自殺しました。この二つの歌は読歌(ヨミウタ)と言います。
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解説

以上で允恭天皇はおしまいです。
ヤマタズ
ヤマタズは「ネズミモチ」か何かの、ともかく葉っぱが向かい合わせに生えている植物を指しているので、葉っぱが向かい合わせになっているように、あなたを迎えに行くという、なかなか風情のある言葉です。
旗について
こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 旗張り立て さ小峰には 旗張り立て 大小にし 仲定める 思ひ妻あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 起てり起てりも 後も取り見る 思ひ妻あはれ
の「旗」は葬式で立てる旗と言われています。そうなるとこの歌は妻に先立たれた夫が、愛しい妻を思って歌った歌ということになります。
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