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允恭天皇(四)新羅の医者が天皇の病を治す
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現代語訳
即位3年春1月1日。使者を派遣して良い医者を新羅に探し求めました。
秋8月に医者が新羅からやって来ました。天皇の病気を治しました。幾ばくも経たないうちに病は癒えました。天皇は喜び、医者に厚い賞与をあたえて国に返しました。
秋8月に医者が新羅からやって来ました。天皇の病気を治しました。幾ばくも経たないうちに病は癒えました。天皇は喜び、医者に厚い賞与をあたえて国に返しました。
解説
古事記との違い
古事記では新羅が皇位継承の祝いとして様々な貢ぎ物を送ったときの「大使」である金波鎭漢紀武(コンハチンカンキム)が「薬の方(クスリノミチ)」を知っていて、それで病気が治った、とあります。
古事記の方が話が整いすぎて嘘っぽいですね。
新羅に医者がいたかどうか?はよくわかりません。中国に医学があって伝わっていた。そういうことはあり得ます。しかし、歩くこともできないような允恭天皇の病が治せるのか?というのは医学の知識が無いのでハッキリとは言えませんが、ちょっと怪しいと思います。
歩けない、病気を患ったままの天皇というのが格好が悪いので「新羅から医者が来て治った」という「設定」にした、という可能性もありますね。
古事記では新羅が皇位継承の祝いとして様々な貢ぎ物を送ったときの「大使」である金波鎭漢紀武(コンハチンカンキム)が「薬の方(クスリノミチ)」を知っていて、それで病気が治った、とあります。
古事記の方が話が整いすぎて嘘っぽいですね。
新羅に医者がいたかどうか?はよくわかりません。中国に医学があって伝わっていた。そういうことはあり得ます。しかし、歩くこともできないような允恭天皇の病が治せるのか?というのは医学の知識が無いのでハッキリとは言えませんが、ちょっと怪しいと思います。
歩けない、病気を患ったままの天皇というのが格好が悪いので「新羅から医者が来て治った」という「設定」にした、という可能性もありますね。
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允恭天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 允恭天皇(一)雄朝津間稚子宿禰皇子は天皇位を拒否する
- Page2 允恭天皇(二)大中姫命は大王に手洗水を
- Page3 允恭天皇(三)鬪鶏国造の暴言、蘭を一茎
- Page4 允恭天皇(四)新羅の医者が天皇の病を治す
- Page5 允恭天皇(五)氏姓の間引き
- Page6 允恭天皇(六)盟神探湯によって氏姓は定められた
- Page7 允恭天皇(七)玉田宿禰の酒宴と尾張連吾襲の殺害
- Page8 允恭天皇(八)小墾田采女は玉田宿禰の鎧を報告する
- Page9 允恭天皇(九)娘子を奉る…という礼事を言わない皇后
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