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允恭天皇(六)盟神探湯によって氏姓は定められた
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則於味橿丘之辭禍戸?、坐探湯瓮而引諸人令赴曰「得實則全、偽者必害。」(盟神探湯、此云區訶陀智。或泥納釜煮沸、攘手探湯泥。或燒斧火色、置于掌。)於是諸人、各著木綿手繦而赴釜探湯、則得實者自全、不得實者皆傷。是以、故詐者愕然之、豫退無進。自是之後、氏姓自定、更無詐人。
現代語訳
味橿丘(ウマカシノオカ=奈良県高市郡明日香村の丘)の辞禍戸石甲(コトノマガヘノサキ…「石へんに甲」でサキ)で探湯瓮(クカヘ=クカタチを行うための湯を炊く釜)を据えて、諸々の人を連れてきて言いました。
「真実を得ているものは、なんら傷つくことは無い。偽りがあれば必ず傷を負うだろう」
諸々の人はそれぞれ木綿のタスキをして、鍋で探湯(クカタチ)をしました。真実の姓名のものは自然と傷を負わず、真実の姓名ではないものは皆、傷を負いました。それで姓名の由来を偽っていたものは怖気づいて、探湯をせずに退いてしまいました。これ以降、氏姓は定まり、偽る人は居なくなりました。
「真実を得ているものは、なんら傷つくことは無い。偽りがあれば必ず傷を負うだろう」
盟神探湯は區訶陀智(クカタチ)と読みます。泥を釜に入れて煮て沸かして、手でかき混ぜて湯の泥を探ります。または斧を火の色に焼いて、手のひらに置きます。
諸々の人はそれぞれ木綿のタスキをして、鍋で探湯(クカタチ)をしました。真実の姓名のものは自然と傷を負わず、真実の姓名ではないものは皆、傷を負いました。それで姓名の由来を偽っていたものは怖気づいて、探湯をせずに退いてしまいました。これ以降、氏姓は定まり、偽る人は居なくなりました。
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解説
辞禍戸石甲
「石甲」というのは「石へんに甲」という意味です。これでサキ、と読むのですが、間違いなく地形を表すことです。「岬(ミサキ・海や湖に出た陸地)」とか「岫(ミサキ・洞穴のこと)」というのですから、「石甲」は、さしずめ、山の中の「石の洞窟」といったところでしょうか。
古事記では
と表現しているところから「辞禍戸石甲(コトノマガヘノサキ)」は、言葉の禍(マガ)…つまり「嘘」に審判を下す神である「言八十禍津日(コトヤソマガツヒ)」を祀っている場所だったのでしょう。そこで、お湯を沸かして、次々に手を突っ込んでいった。泥を掴んでくれば「正しい」。火傷すれば「嘘をついていた」となります。
おそらく、お湯を炊き始めて、順番に有力者から探湯(クカタチ)をしていった。当然、火をつけて間もなくはお湯の温度は低いので、最初の氏族は問題が無かった。しかし、徐々にお湯の温度があがり、弱小氏族は火傷をしていった。そのまま弱小氏族は氏姓を失った。
この根本にあったのは葛城氏vsその他の氏族、という当時の敵対関係があったのではないかと思うのです。葛城という有名氏族の専横に多くの氏族が不満を持っていた。そこで葛城は、彼らの数を減らしたいと思った。そこで探湯によって弱い氏族の間引きを行った。正確には允恭天皇にやらせた。允恭天皇の母は葛城氏の娘、「磐之媛」です。
「石甲」というのは「石へんに甲」という意味です。これでサキ、と読むのですが、間違いなく地形を表すことです。「岬(ミサキ・海や湖に出た陸地)」とか「岫(ミサキ・洞穴のこと)」というのですから、「石甲」は、さしずめ、山の中の「石の洞窟」といったところでしょうか。
古事記では
味白檮の言八十禍津日の前に玖訶瓰を居えて
と表現しているところから「辞禍戸石甲(コトノマガヘノサキ)」は、言葉の禍(マガ)…つまり「嘘」に審判を下す神である「言八十禍津日(コトヤソマガツヒ)」を祀っている場所だったのでしょう。そこで、お湯を沸かして、次々に手を突っ込んでいった。泥を掴んでくれば「正しい」。火傷すれば「嘘をついていた」となります。
おそらく、お湯を炊き始めて、順番に有力者から探湯(クカタチ)をしていった。当然、火をつけて間もなくはお湯の温度は低いので、最初の氏族は問題が無かった。しかし、徐々にお湯の温度があがり、弱小氏族は火傷をしていった。そのまま弱小氏族は氏姓を失った。
この根本にあったのは葛城氏vsその他の氏族、という当時の敵対関係があったのではないかと思うのです。葛城という有名氏族の専横に多くの氏族が不満を持っていた。そこで葛城は、彼らの数を減らしたいと思った。そこで探湯によって弱い氏族の間引きを行った。正確には允恭天皇にやらせた。允恭天皇の母は葛城氏の娘、「磐之媛」です。
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