鬪鶏国造の暴言、蘭を一茎

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允恭天皇(三)鬪鶏国造の暴言、蘭を一茎

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原文

二年春二月丙申朔己酉、立忍坂大中姫爲皇后、是日、爲皇后定刑部。皇后生木梨輕皇子・名形大娘皇女・境黑彦皇子・穴穗天皇・輕大娘皇女・八釣白彦皇子・大泊瀬稚武天皇・但馬橘大娘皇女・酒見皇女。初皇后隨母在家、獨遊苑中、時鬪鶏国造、從傍徑行之、乘馬而莅籬、謂皇后嘲之曰「能作園乎、汝者也。」汝、此云那鼻苔也。且曰「壓乞、戸母、其蘭一莖焉。」壓乞、此云異提。戸母、此云覩自。皇后則採一根蘭、與於乘馬者、因以、問曰「何用求蘭耶。」乘馬者對曰「行山撥蠛也。」(蠛、此云摩愚那岐。)時皇后、結之意裏乘馬者辭旡禮、卽謂之曰「首也、余不忘矣。」

是後、皇后登祚之年、覓乘馬乞蘭者而數昔日之罪以欲殺、爰乞蘭者、顙搶地叩頭曰「臣之罪實當萬死。然當其日、不知貴者。」於是皇后、赦死刑、貶其姓謂稻置。
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現代語訳

即位2年春2月14日。忍坂大中姫(オシサカオオナカツヒメ)を皇后としました。この日に皇后のために刑部(オシサカベ)を定めました。皇后は木梨軽皇子(キナシノカルノミコ)、名形大娘皇女(ナガタノオオイラツメノヒメミコ)、境黒彦皇子(サカイノクロヒコノミコ)、穴穂天皇(アナホノスメラミコト=安康天皇)、軽大娘皇女(カルノオオイラツメノヒメミコ)、八釣白彦皇子(ハツリノシロヒコノミコ)、大泊瀬稚武天皇(オオハツセノワカタケノスメラミコト=雄略天皇)、但馬橘大娘皇女(タジマノタチバナノオオイラツメノヒメミコ)、酒見皇女(サカミノヒメミコ)を生みました。

皇后になる以前、大中姫がまだ母に従って実家にいたときに、一人で苑(ソノ=敷地)の中で遊んでいました。そこに鬪鶏国造(ツゲノクニノミヤツコ…ツケ=大和国山辺郡都介郷=現在の奈良県山辺郡都祁村)が傍(ホトリ=そば)の道をやって来ました。馬に乗って、籬(マガキ=竹などで編んだ洗い目の垣根)を覗き込んで、皇后に語り、嘲って言いました。
「良い庭園を造っているな、お前は」
また言いました。
「おい! 女家主よ。
その蘭(アララギ=野蒜のこと)を一茎を!」
皇后は一根の蘭を取って、馬に乗った人に与えました。それで言いました。
「なんに使うのに蘭を求めるのですか?」
馬に乗った人は答えて言いました。
「山に行ったときに、蠛(マグナキ=虫の一種の「糠蛾(ヌカカ)」、血を吸う虫)を払おうと思ってな」
蠛は摩愚那岐(マグナキ)と読みます。

このとき、皇后は心の裏(ウチ)で、馬に乗った人の言葉に礼儀が無いと思って言いました。
「首(オビト)よ。あなたのことは忘れませんよ」
この後、皇后になった年に馬に乗って蘭を乞うた人を探し求めて、昔の罪を責めて殺そうとしました。蘭を乞うた人は地面に額を突いて言いました。
「わたしめの罪は、まことに死ぬに値するものです。しかし、そのときは貴(カシコ)き人になろうとは分からなかったのです」
それで皇后は罪を許し、姓を落として稲置(イナキ)としました。
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解説

皇后は怖い
天皇は権力が強い、と思いがちですが、皇后の方がよっぽど権力の傾向が強いと思います。天皇は権力より「女」という感じなのに。

そういえば仁徳天皇の二人目の皇后の「八田皇女」は同母妹の「雌鶏皇女」が死んだ際に、アクセサリーが奪われた(つまり死者を冒涜した)のを知って、犯人を罰しようとしました。

皇后の法が怖い。
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