近江山君稚守山の妻と采女磐坂媛と二人の女性の手に良い珠

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仁徳天皇(二十九)近江山君稚守山の妻と采女磐坂媛と二人の女性の手に良い珠

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原文

是歲、當新嘗之月、以宴會日、賜酒於內外命婦等。於是、近江山君稚守山妻與采女磐坂媛、二女之手有纏良珠。皇后見其珠、既似雌鳥皇女之珠、則疑之、命有司推問其玉所得之由。對言「佐伯直阿俄能胡妻之玉也。」仍推鞫阿俄能胡、對曰「誅皇女之日、探而取之。」卽將殺阿俄能胡。於是阿俄能胡、乃獻己之私地、請贖死。故納其地赦死罪、是以、號其地曰玉代。

現代語訳

(即位40年)この年、新嘗(収穫祭=11月)の月に宴会(トヨノアカリ)の日に酒(オオミキ)を内外命婦(ヒメトネ=地位の高い女性)に振舞いました。近江山君稚守山(オウミノヤマノキミワカモリヤマ)の妻と采女磐坂媛(ウネメイワサカヒメ)と二人の女性の手に良い珠(タマ)が巻いてありました。皇后がその珠を見ると、明らかに雌鳥皇女(メトリノヒメミコ)の珠に似ていました。疑って、有司(ツカサ=官僚・役人)に命じて、その珠を得た経緯を問わせました。答えて言いました。
「佐伯直阿俄能胡(サエキノアタイアガノコ)の妻の玉です」
それで阿俄能胡(アガノコ)を問い詰めました。答えて言いました。
「皇女(ヒメミコ)を誅殺した日に、服を探って取ったのです」
すぐに阿俄能胡を殺そうとしました。すると阿俄能胡は自分の私有地を献上して死にあたいする罪を贖(アガナ)いたいと申し出ました。その土地を納めて、死罪を赦しました。その土地を名付けて玉代(タマテ)と言います。
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解説

近江山君稚守山(オウミノヤマノキミワカモリヤマ)の妻と采女磐坂媛(ウネメイワサカヒメ)と二人の女性の手、ということは4つの玉が盗まれたわけです。手玉足玉で合計4つ、ということでしょうか。
古事記との違い
古事記では玉を盗んだのは大楯連(オオタテノムラジ)で、死刑になっていますが、日本書紀では玉を盗んだのは「播磨佐伯直阿俄能胡(ハリマノサエキノアタイアガノコ)」で、私有地を献上することで死刑は免れています。
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