茨田堤で雁が子供を産みました

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仁徳天皇(三十二)茨田堤で雁が子供を産みました

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原文

五十年春三月壬辰朔丙申、河內人奏言「於茨田堤、鴈産之。」卽日、遣使令視、曰「既實也。」天皇於是、歌以問武內宿禰曰、
多莽耆破屢 宇知能阿曾 儺虛曾破 豫能等保臂等 儺虛曾波 區珥能那餓臂等 阿耆豆辭莽 揶莽等能區珥々 箇利古武等 儺波企箇輸揶
武內宿禰答歌曰、

夜輸瀰始之 和我於朋枳瀰波 于陪儺于陪儺 和例烏斗波輸儺 阿企菟辭摩 揶莽等能倶珥々 箇利古武等 和例破枳箇儒

現代語訳

即位50年春3月5日。
河内(カワチノクニ)の人が天皇に申し上げました。
「茨田堤(マムタノツツミ)で雁が子供を産みました」
その日に使者を派遣して見ました。その使者が言いました。
「真実でした」
天皇は歌を歌って武内宿禰(タケノウチノスクネ)に問いました。
たまきはる 内の朝臣(アソ) 汝(ナ)こそは 世の遠人(トオヒト) 汝(ナ)こそは 国の長人(ナガヒト) 秋津嶋(アキヅシマ) 倭(ヤマト)の国に 雁(カリ)産(コ)むと 汝(ナ)は聞かすや
歌の訳(「タマキハル(魂際る)」は内に掛かる枕詞)朝廷の内に使える朝臣(=武内宿禰のこと)よ。お前こそはこの世の長生き人。お前こそは国一番の長寿だ。秋津島の倭の国で雁が子を産むという話は聞いたことがあるかい?

武内宿禰は答えて歌いました。
やすみしし 我が大君は 宜(ウベ)な宜(ウベ)な 我を問はすな 秋津嶋 倭の国に 雁産むと 我は聞かず
歌の訳(「やすみしし」は「世界の隅々まで統治が広がる=八隅知し」という意味で大君の枕詞)我が大君が私に聞くのはもっともなことです。秋津島の倭の国に雁が子を産むという話を聞いたことがありません。

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解説

創世の神話のよう
雁が卵を産むようになったのは、「大君」の治世を祝ってのことで、現在も雁が卵を産んでいるということは、治世が続いているということです。実際、現在でも鳥は卵を産み、天皇は在位しているわけです。
この話が本当だとすると「仁徳天皇以前、雁は卵を産んでいなかった」ということになりますが、そんなわけない。この「雁の子産み」の神話は伝承としてあった。おそらく「創世」というよりは「建国神話」だった。卵と建国が関わっているのはよく見られるものです。それを仁徳天皇の時代の神話として組み込んだ。なぜなら、仁徳天皇の本来の名前は「大鷦鷯(オオサザキ)」であり「鷦鷯」とは「ミソサザイ」という鳥の古名だからです。
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