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允恭天皇(五)氏姓の間引き
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四年秋九月辛巳朔己丑、詔曰「上古之治、人民得所、姓名勿錯。今朕踐祚於茲四年矣、上下相爭、百姓不安、或誤失己姓、或故認高氏。其不至於治者蓋由是也、朕雖不賢、豈非正其錯乎、群臣議定奏之。」群臣皆言「陛下舉失正枉而定氏姓者、臣等冒死。」奏可。戊申、詔曰「群卿百寮及諸国造等、皆各言、或帝皇之裔・或異之天降。然、三才顯分以來多歷萬歲、是以、一氏蕃息更爲萬姓、難知其實。故、諸氏姓人等、沐浴齊戒、各爲盟神探湯。」
現代語訳
即位4年秋9月9日。天皇は詔(ミコトノリ)して言いました。
「古から国を治めてきた。人民は土地を得ており、姓名が混乱することもなかった。今、朕(ワレ)が天皇の位を引き継ぎ、4年。上のものと下のものとが争い、百姓は安心していられない。あるいは間違って自分の姓(カバネ)を失ってしまう。あるいは故意に位の高い氏を自分のものとしてしまう。国を統治できていないのは、どうもこれの為のようだ。朕(ワレ)は不賢(オサナシ)といえども、この混乱を正さないわけにはいかないだろう。群臣(マヘツノキミタチ)は話あって定めて、報告しろ」
群臣は皆、言いました。
「陛下(キミ)。過ちをあげ、曲がったものを正して氏姓(ウジカバネ)を定めれば、わたしめらは死ぬかもしれません」
しかし天皇は許しませんでした。
9月28日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「群卿(マヘツノキミタチ=臣下たち)・百寮(ツカサツカサ=役人・官僚)と諸国の国造は皆、それぞれの言うのだ。
あるものはやれ『帝皇(ミカド)の裔(ミコハナ=子孫)だ』とか、あるものはやれ『不思議な力を持って天から降った』とか。しかしそれは違う。三才(ミッツノミチ=天地人)が現れ、別れて以来、多くの月日…万歳(ヨロズトセ)が経った。それで一つの氏が蕃息(ウマハリ=子孫が枝分かれして色んな氏族が増える)して万姓(ヨロズノカバネ)となったのだ。そこのところの真実というのは分かり辛いものとなった。そこで諸々の氏姓(ウジカバネ)の人たちは沐浴齊戒(ユカアミモノイミ)して、それぞれが盟神探湯(クカタチ)をして真実をハッキリとさせるのだ!」
「古から国を治めてきた。人民は土地を得ており、姓名が混乱することもなかった。今、朕(ワレ)が天皇の位を引き継ぎ、4年。上のものと下のものとが争い、百姓は安心していられない。あるいは間違って自分の姓(カバネ)を失ってしまう。あるいは故意に位の高い氏を自分のものとしてしまう。国を統治できていないのは、どうもこれの為のようだ。朕(ワレ)は不賢(オサナシ)といえども、この混乱を正さないわけにはいかないだろう。群臣(マヘツノキミタチ)は話あって定めて、報告しろ」
群臣は皆、言いました。
「陛下(キミ)。過ちをあげ、曲がったものを正して氏姓(ウジカバネ)を定めれば、わたしめらは死ぬかもしれません」
しかし天皇は許しませんでした。
9月28日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「群卿(マヘツノキミタチ=臣下たち)・百寮(ツカサツカサ=役人・官僚)と諸国の国造は皆、それぞれの言うのだ。
あるものはやれ『帝皇(ミカド)の裔(ミコハナ=子孫)だ』とか、あるものはやれ『不思議な力を持って天から降った』とか。しかしそれは違う。三才(ミッツノミチ=天地人)が現れ、別れて以来、多くの月日…万歳(ヨロズトセ)が経った。それで一つの氏が蕃息(ウマハリ=子孫が枝分かれして色んな氏族が増える)して万姓(ヨロズノカバネ)となったのだ。そこのところの真実というのは分かり辛いものとなった。そこで諸々の氏姓(ウジカバネ)の人たちは沐浴齊戒(ユカアミモノイミ)して、それぞれが盟神探湯(クカタチ)をして真実をハッキリとさせるのだ!」
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解説
強硬な允恭天皇
病気だから断り続けたはずの允恭天皇ですが、天皇になった途端にあったことは「氏姓を正す」という大改革でした。古代ですから「親」が偉いということは「子」も偉い、というのが当たり前です。ということは如何に先祖が偉いか?に生活が掛かってるってことです。そこで、嘘でも良い名前を名乗ろうとするし、先祖が「天から天降った特別な神」だと言い張るのは大事なことでした。それを、間引こうってんだから、臣下たちが「殺されちゃうかもしれない!」と允恭天皇に弱音を吐くのも当然です。
允恭天皇の狙い
これが允恭天皇の知恵だったか?というと分かりませんが、これは葛城氏側の反対勢力をそぎ落とす策略だったんじゃないか?と思います。葛城氏は本来は履中天皇の子の「磐坂市辺押羽皇子(市辺之忍歯王)」に継がせたかった。しかし、「非葛城」の反対勢力に押されて、折衷案として「病気で温和な允恭天皇」で妥協した。とは言っても允恭天皇の母は葛城の磐之媛です。葛城は允恭天皇を操り、「非葛城」である…おそらく非葛城は、特定の氏族を中心としたグループではなく、小さな氏族の集まりだったのでしょう……彼らの勢力を削ぎにかかった。それが「氏姓の間引き」なのでしょう。
病気だから断り続けたはずの允恭天皇ですが、天皇になった途端にあったことは「氏姓を正す」という大改革でした。古代ですから「親」が偉いということは「子」も偉い、というのが当たり前です。ということは如何に先祖が偉いか?に生活が掛かってるってことです。そこで、嘘でも良い名前を名乗ろうとするし、先祖が「天から天降った特別な神」だと言い張るのは大事なことでした。それを、間引こうってんだから、臣下たちが「殺されちゃうかもしれない!」と允恭天皇に弱音を吐くのも当然です。
允恭天皇の狙い
これが允恭天皇の知恵だったか?というと分かりませんが、これは葛城氏側の反対勢力をそぎ落とす策略だったんじゃないか?と思います。葛城氏は本来は履中天皇の子の「磐坂市辺押羽皇子(市辺之忍歯王)」に継がせたかった。しかし、「非葛城」の反対勢力に押されて、折衷案として「病気で温和な允恭天皇」で妥協した。とは言っても允恭天皇の母は葛城の磐之媛です。葛城は允恭天皇を操り、「非葛城」である…おそらく非葛城は、特定の氏族を中心としたグループではなく、小さな氏族の集まりだったのでしょう……彼らの勢力を削ぎにかかった。それが「氏姓の間引き」なのでしょう。
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允恭天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 允恭天皇(一)雄朝津間稚子宿禰皇子は天皇位を拒否する
- Page2 允恭天皇(二)大中姫命は大王に手洗水を
- Page3 允恭天皇(三)鬪鶏国造の暴言、蘭を一茎
- Page4 允恭天皇(四)新羅の医者が天皇の病を治す
- Page5 允恭天皇(五)氏姓の間引き
- Page6 允恭天皇(六)盟神探湯によって氏姓は定められた
- Page7 允恭天皇(七)玉田宿禰の酒宴と尾張連吾襲の殺害
- Page8 允恭天皇(八)小墾田采女は玉田宿禰の鎧を報告する
- Page9 允恭天皇(九)娘子を奉る…という礼事を言わない皇后
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