允恭天皇(十一)弟姫の説得成功。倭の春日の櫟井へ

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允恭天皇(十一)弟姫の説得成功。倭の春日の櫟井へ

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原文

時烏賊津使主對言「臣既被天皇命、必召率來矣。若不將來、必罪之。故、返被極刑、寧伏庭而死耳。」仍經七日伏於庭中、與飲食而不湌、密食懷中之糒。於是弟姫以爲、妾因皇后之嫉、既拒天皇命、且亡君之忠臣、是亦妾罪。則從烏賊津使主而來之。到倭春日、食于檪井上、弟姫親賜酒于使主、慰其意。使主、卽日至京、留弟姫於倭直吾子籠之家、復命天皇。天皇大歡之、美烏賊津使主而敦寵焉。

現代語訳

烏賊津使主(イカツノオミ)は答えて言いました。
「わたしめは天皇の命令を承っており、必ず連れてこいと言われています。もしも、連れてこれなかった場合は、必ず罪に問うと言われているのです。このまま帰って極刑(コロ)されるくらいならば、このまま庭に伏して死にます」
それで七日経っても庭の中に伏せていました。弟姫が烏賊津使主(イカツノオミ)に水や食べものを与えても食べませんでした。密かに烏賊津使主は懐に持ってきた糒(ホシイ=干した飯=保存食)を食べました。弟姫は皇后が妬むだろうと思って、天皇の命令を拒んできました。また、君(キミ=天皇のこと)の忠臣(タダシキヒト)を亡くしてしまうのは、これはこれで自分(=弟姫)の罪になるなと思い、烏賊津使主に従って、朝廷へと行くことにしました。倭の春日に到着して檪井(イチイ=奈良県天理市櫟本)の上で食事をしました。弟姫は自ら酒を使主(オミ)に与え、慰労しました。使主(オミ)はその日に京(ミヤコ)に到着しました。弟姫を倭直吾子籠(ヤマトノアタイアゴコ)の家に留めて、天皇に復命(カエリコトモウス=仕事の結果報告)をしました。天皇は大いに喜んで、烏賊津使主を褒めて、厚く褒美を与えました。
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解説

おそるべし烏賊津使主
前のページで、懐に干した飯を隠し持って、弟姫のもとへと出向いた烏賊津使主。姫に拒絶されて、庭に伏してそのまま7日もの間、食べず飲まずで乗り切って、ついに弟姫を説得。そのカラクリが「隠し持った干した飯」なのですが、まぁ、それでも凄い。

このお話が史実であろう筈もない。糒があって、それで食べものはカバーできても「水」が無くて1週間も庭に伏したままってのは無理でしょう。そういう伝承があったんじゃないかと。「使いに出るときは念のために糒を持ってけ」みたいな諺とか、そういう「準備はしとけ」という教訓を含んだ説話があったか、糒はこんなに便利なんだぜ!という儀式があったとか、そういうものを允恭天皇の中に取り込んだのが、弟姫の物語になっているんじゃないかと。
倭直吾子籠
倭直吾子籠は仁徳天皇の時は仁徳天皇の側近、履中天皇が即位する時は履中天皇の反対勢力の仲皇子側として登場。そして允恭天皇の時にも登場。履中・反正・允恭は「同腹兄弟」ですから、4代に渡って仕えていても不思議じゃないです。
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