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履中天皇(三)安曇連浜子の追手。吾子籠は妹を献上
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則更還之、發當縣兵令從身、自龍田山踰之、時有數十人執兵追來、太子遠望之曰「其彼來者誰人也、何步行急之、若賊人乎。」因隱山中而待之、近則遣一人問曰「曷人。且何處往矣。」對曰「淡路野嶋之海人也、阿曇連濱子一云阿曇連黑友。爲仲皇子、令追太子。」於是、出伏兵圍之、悉得捕。當是時、倭直吾子籠、素好仲皇子、預知其謀、密聚精兵數百於攪食栗林、爲仲皇子將拒太子。時太子、不知兵塞而出山行數里、兵衆多塞、不得進行。
乃遣使者、問曰「誰人也。」對曰「倭直吾子籠也。」便還問使者曰「誰使焉。」曰「皇太子之使。」時吾子籠、憚其軍衆多在、乃謂使者曰「傳聞、皇太子有非常之事。將助以備兵待之。」然太子疑其心欲殺、則吾子籠愕之、獻己妹日之媛、仍請赦死罪。乃免之、其倭直等貢采女、蓋始于此時歟。太子便居於石上振神宮。於是、瑞齒別皇子、知太子不在、尋之追詣。然太子疑弟王之心而不喚、時瑞齒別皇子令謁曰「僕無黑心、唯愁太子不在而參赴耳。」爰太子傳告弟王曰「我、畏仲皇子之逆、獨避至於此、何且非疑汝耶。其仲皇子在之、獨猶爲我病。遂欲除、故汝寔勿異心、更返難波而殺仲皇子。然後、乃見焉。」
乃遣使者、問曰「誰人也。」對曰「倭直吾子籠也。」便還問使者曰「誰使焉。」曰「皇太子之使。」時吾子籠、憚其軍衆多在、乃謂使者曰「傳聞、皇太子有非常之事。將助以備兵待之。」然太子疑其心欲殺、則吾子籠愕之、獻己妹日之媛、仍請赦死罪。乃免之、其倭直等貢采女、蓋始于此時歟。太子便居於石上振神宮。於是、瑞齒別皇子、知太子不在、尋之追詣。然太子疑弟王之心而不喚、時瑞齒別皇子令謁曰「僕無黑心、唯愁太子不在而參赴耳。」爰太子傳告弟王曰「我、畏仲皇子之逆、獨避至於此、何且非疑汝耶。其仲皇子在之、獨猶爲我病。遂欲除、故汝寔勿異心、更返難波而殺仲皇子。然後、乃見焉。」
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現代語訳
帰って当県(ソノアガタ)の兵を興して、従身(ミトモニツカエ)して、竜田山(タツタノヤマ=奈良県生駒郡三郷村西方の山)を越えました。その時、数十人(トオアマリノヒト)の兵を率いた者が追って来ました。太子は遠くに望み見て言いました。
「彼方から来るのは誰だ? どうして歩いて急いで行くのか。もしかして賊人(アタ=敵)か?」
山の中に隠れて待ちました。
近づいたときに、一人を派遣して問わせました。
「曷人(ナニビト=何者)か? またどこに行くのか?」
答えて言いました。
「淡路(アワジ)の野嶋(ノシマ)の海人(アマ)です。安曇連浜子(アズミノムラジハマコ)の命令によって
仲皇子(ナカツミコ)のために太子を追っているのです」
そこで伏兵を出して囲みました。(安曇連浜子の追手である)全員を捕らえることが出来ました。
倭直吾子籠(ヤマトノアタイアゴコ)はもともと仲皇子(ナカツミコ)を好んでいました。あらかじめ、その謀(ハカリゴト=太子を殺す計画のこと)を知って、密かに精鋭の兵数百を攪食の栗林(カキハミノクルス=大和国忍海郡栗栖郷=現在の奈良県御所市北部)に集めて、仲皇子のために太子を阻もうとしていました。太子は兵が道を防いでいるのを知らないで、山を出て行って数里(アマタサト)進みました。兵衆(イクサ=兵士の集団)が大勢で道を塞いで、進み出ることが出来ませんでした。使者を派遣して問いました。
「お前は誰か?」
答えて言いました。
「皇太子(ヒツギノミコ)の使者だ」
そのとき、吾子籠(アゴコ)はその太子の軍衆(イクサ=兵士の集団)が多いのをはばかって、使者に語って言いました。
「聞いたところによると・・・皇太子は非常之事(オモオエヌコト=想定外の非常事態)にあるという。助けようとして兵を準備して待っていました」
しかし太子はその心を疑って殺そうとしました。吾子籠は恐ろしくなって、妹の日之媛(ヒノヒメ)を献上しました。それで死罪は許してほしいと請いました。太子は許しました。倭直(ヤマトノアタイ)たちが采女(ウネメ)を献上するのは、どうやらこのときに始まったのではないかと。太子はすでに石上(イソノカミ)の振神宮(フルノカミノミヤ)に居ました。瑞歯別皇子(ミズハワケノミコ=反正天皇)は(太子が追われて宮に)いないのを知って、尋ねて追って詣でました。しかし太子は弟王(イロドノミコ=瑞歯別皇子)の心を疑って、呼び寄せませんでした。そのとき、瑞歯別皇子(ミズハワケノミコ)は謁見したいと言いました。
「わたしめには黒い心はありません。ただ、太子が宮に居ないことを愁えて参上しただけなのです」
太子は人を介して弟王(イロドノミコ)に伝えました。
「わたしは仲皇子(ナカツミコ)が反逆するのを恐れて、一人で逃げてここに至ったのだ。どうして、お前を疑わないでいられるだろうか。仲皇子が生きていることが、ただ私の病のようなものだ。だから排除したいと思う。だから、お前にまことに反逆する心が無いというのならば、また難波に帰って仲皇子を殺せ。その後なら会おう」
「彼方から来るのは誰だ? どうして歩いて急いで行くのか。もしかして賊人(アタ=敵)か?」
山の中に隠れて待ちました。
近づいたときに、一人を派遣して問わせました。
「曷人(ナニビト=何者)か? またどこに行くのか?」
答えて言いました。
「淡路(アワジ)の野嶋(ノシマ)の海人(アマ)です。安曇連浜子(アズミノムラジハマコ)の命令によって
ある伝によると、安曇連黒友(アズミノムラジノクロトモ)といいます。
仲皇子(ナカツミコ)のために太子を追っているのです」
そこで伏兵を出して囲みました。(安曇連浜子の追手である)全員を捕らえることが出来ました。
倭直吾子籠(ヤマトノアタイアゴコ)はもともと仲皇子(ナカツミコ)を好んでいました。あらかじめ、その謀(ハカリゴト=太子を殺す計画のこと)を知って、密かに精鋭の兵数百を攪食の栗林(カキハミノクルス=大和国忍海郡栗栖郷=現在の奈良県御所市北部)に集めて、仲皇子のために太子を阻もうとしていました。太子は兵が道を防いでいるのを知らないで、山を出て行って数里(アマタサト)進みました。兵衆(イクサ=兵士の集団)が大勢で道を塞いで、進み出ることが出来ませんでした。使者を派遣して問いました。
「お前は誰か?」
答えて言いました。
「皇太子(ヒツギノミコ)の使者だ」
そのとき、吾子籠(アゴコ)はその太子の軍衆(イクサ=兵士の集団)が多いのをはばかって、使者に語って言いました。
「聞いたところによると・・・皇太子は非常之事(オモオエヌコト=想定外の非常事態)にあるという。助けようとして兵を準備して待っていました」
しかし太子はその心を疑って殺そうとしました。吾子籠は恐ろしくなって、妹の日之媛(ヒノヒメ)を献上しました。それで死罪は許してほしいと請いました。太子は許しました。倭直(ヤマトノアタイ)たちが采女(ウネメ)を献上するのは、どうやらこのときに始まったのではないかと。太子はすでに石上(イソノカミ)の振神宮(フルノカミノミヤ)に居ました。瑞歯別皇子(ミズハワケノミコ=反正天皇)は(太子が追われて宮に)いないのを知って、尋ねて追って詣でました。しかし太子は弟王(イロドノミコ=瑞歯別皇子)の心を疑って、呼び寄せませんでした。そのとき、瑞歯別皇子(ミズハワケノミコ)は謁見したいと言いました。
「わたしめには黒い心はありません。ただ、太子が宮に居ないことを愁えて参上しただけなのです」
太子は人を介して弟王(イロドノミコ)に伝えました。
「わたしは仲皇子(ナカツミコ)が反逆するのを恐れて、一人で逃げてここに至ったのだ。どうして、お前を疑わないでいられるだろうか。仲皇子が生きていることが、ただ私の病のようなものだ。だから排除したいと思う。だから、お前にまことに反逆する心が無いというのならば、また難波に帰って仲皇子を殺せ。その後なら会おう」
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解説
仁徳天皇の時代に屯田・屯倉が誰のものか?ということが問題になって、屯田・屯倉が誰のものか知っていたのが「吾子籠」です。この吾子籠は倭直麻呂(ヤマトノアタイマロ)の弟で、そのとき、韓国に派遣されていました。そこで呼び戻すために淤宇宿禰(オウノスクネ)を韓国に派遣したのですね。そのときに船の漕ぎ手として、船に乗せたのが「淡路の海人八十(アマヤソ)」です。
この話とこのページには「吾子籠」と「淡路の海人」という共通の登場人物がいます。そして仁徳天皇(三)倭の屯田は山守のもの?では「吾子籠・淡路の海人」は仁徳天皇の味方で、このページでは履中天皇の敵側として登場しています。
これは仁徳天皇と履中天皇ではかなり立場が変わっているということではないでしょうか。仁徳天皇は九州・朝鮮の勢力が強く、履中天皇ではその反対。何があったのでしょう?
この話とこのページには「吾子籠」と「淡路の海人」という共通の登場人物がいます。そして仁徳天皇(三)倭の屯田は山守のもの?では「吾子籠・淡路の海人」は仁徳天皇の味方で、このページでは履中天皇の敵側として登場しています。
これは仁徳天皇と履中天皇ではかなり立場が変わっているということではないでしょうか。仁徳天皇は九州・朝鮮の勢力が強く、履中天皇ではその反対。何があったのでしょう?
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履中天皇・反正天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 履中天皇(一)出自と黒媛と仲皇子の鈴
- Page2 履中天皇(二)焼ける宮から逃げ、当摩径を通る
- Page3 履中天皇(三)安曇連浜子の追手。吾子籠は妹を献上
- Page4 履中天皇(四)瑞歯別皇子に木菟宿禰を添えて派遣
- Page5 履中天皇(五)刺領巾による仲皇子の殺害
- Page6 履中天皇(六)罰としての黥。即位と皇妃とその子息子女
- Page7 履中天皇(七)瑞歯別皇子の立太子と磐余での執政
- Page8 履中天皇(八)掖上室山の桜
- Page9 履中天皇(九)国史の配置と筑紫の神の怒りと河内飼部の黥
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