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履中天皇(二)焼ける宮から逃げ、当摩径を通る
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爰仲皇子畏有事、將殺太子、密興兵圍太子宮。時、平群木菟宿禰・物部大前宿禰・漢直祖阿知使主、三人啓於太子、太子不信。一云、太子醉以不起。故、三人扶太子、令乘馬而逃之。一云「大前宿禰、抱太子而乘馬。」仲皇子、不知太子不在而焚太子宮、通夜火不滅。太子、到河內国埴生坂而醒之、顧望難波、見火光而大驚、則急馳之、自大坂向倭、至于飛鳥山遇少女於山口、問之曰「此山有人乎。」對曰「執兵者多滿山中、宜廻自當摩徑踰之。」太子於是以爲、聆少女言而得免難、則歌之曰、
於朋佐箇珥 阿布夜烏等謎烏 瀰知度沛麼 哆駄珥破能邏孺 哆?摩知烏能流
於朋佐箇珥 阿布夜烏等謎烏 瀰知度沛麼 哆駄珥破能邏孺 哆?摩知烏能流
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現代語訳
仲皇子(ナカツミコ)は大事になってしまうことを恐れて、太子を殺そうとしました。密かに兵を興して、太子の宮を囲みました。その時、平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)・物部大前宿禰(モノノベノオオマエノスクネ)・漢直(アヤノアタイ)の祖先の阿知使主(アチノオミ)の三人は太子に申し上げました。太子は信じませんでした。
そこで三人は太子を助けて、馬に乗せて逃げました。
仲皇子は太子のいるところを知らないで、太子の宮を焼きました。通夜(ヨモスガラ=夜通し)、日は消えませんでした。太子は河内国の埴生坂(ハニフノサカ)に到着して目を覚ましました。難波を顧みて、望み見ました。火の明かりを見て、大いに驚きました。急いで馬を走らせて、大阪から倭へと向いました。飛鳥山に到着して、少女に山口(ヤマグチ=山の入り口)で会いました。そして問いました。
「この山には人がいるか?」
答えて言いました。
「兵(ツワモノ=兵器・武器)を持っているものがたくさん、山の仲に満ちています。引き返して当摩径(タギマノミチ)から越えなさい」
太子はそこで少女の言葉を聞いて、難(ワザワイ)から免れることができると思って、歌を歌いました。
大坂(オオサカ)に 遭(ア)ふや乙女(オトメ)を 道(ミチ)問へば 直(タダ)に告(ノ)らず 当摩径(タギマチ)を 告(ノ)る
ある伝によると、太子は酔っ払って起きなかったといいます。
そこで三人は太子を助けて、馬に乗せて逃げました。
ある伝によると、大前宿禰(オオマエノスクネ)は太子を抱いて馬に乗ったといいます。
仲皇子は太子のいるところを知らないで、太子の宮を焼きました。通夜(ヨモスガラ=夜通し)、日は消えませんでした。太子は河内国の埴生坂(ハニフノサカ)に到着して目を覚ましました。難波を顧みて、望み見ました。火の明かりを見て、大いに驚きました。急いで馬を走らせて、大阪から倭へと向いました。飛鳥山に到着して、少女に山口(ヤマグチ=山の入り口)で会いました。そして問いました。
「この山には人がいるか?」
答えて言いました。
「兵(ツワモノ=兵器・武器)を持っているものがたくさん、山の仲に満ちています。引き返して当摩径(タギマノミチ)から越えなさい」
太子はそこで少女の言葉を聞いて、難(ワザワイ)から免れることができると思って、歌を歌いました。
大坂(オオサカ)に 遭(ア)ふや乙女(オトメ)を 道(ミチ)問へば 直(タダ)に告(ノ)らず 当摩径(タギマチ)を 告(ノ)る
歌の訳大坂で出逢った少女に蜜を解いたら、直に行くのではなく、回り道の当摩径(タギマチ)を行くように言われたよ。
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履中天皇・反正天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 履中天皇(一)出自と黒媛と仲皇子の鈴
- Page2 履中天皇(二)焼ける宮から逃げ、当摩径を通る
- Page3 履中天皇(三)安曇連浜子の追手。吾子籠は妹を献上
- Page4 履中天皇(四)瑞歯別皇子に木菟宿禰を添えて派遣
- Page5 履中天皇(五)刺領巾による仲皇子の殺害
- Page6 履中天皇(六)罰としての黥。即位と皇妃とその子息子女
- Page7 履中天皇(七)瑞歯別皇子の立太子と磐余での執政
- Page8 履中天皇(八)掖上室山の桜
- Page9 履中天皇(九)国史の配置と筑紫の神の怒りと河内飼部の黥
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