掖上室山の桜

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履中天皇(八)掖上室山の桜

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原文

三年冬十一月丙寅朔辛未、天皇、泛兩枝船于磐余市磯池、與皇妃各分乘而遊宴。膳臣餘磯獻酒、時櫻花落于御盞、天皇異之則召物部長眞膽連、詔之曰「是花也非時而來、其何處之花矣、汝自可求。」於是、長眞膽連、獨尋花、獲于掖上室山而獻之。天皇歡其希有、卽爲宮名、故謂磐余稚櫻宮、其此之緣也。是日、改長眞膽連之本姓曰稚櫻部造、又號膳臣餘磯曰稚櫻部臣。

現代語訳

即位3年冬11月6日。天皇は両枝船(フタマタブネ)を磐余市磯池(イワレノイチシノイケ=磐余池のことか?)に浮かべました。皇妃とそれぞれ分かれて乗って遊びました。膳臣余磯(カシワデノオミアレシ)が酒を献上しました。その時、桜の花が盃に落ちました。天皇は不思議に思って、物部長真胆連(モノノベノナガマイノムラジ)を呼び寄せて、詔(ミコトノリ)して言いました。
「この花、非時(トキジク=季節ではない=11月だから桜の時期ではない)なのに来た。これは何処の花か? お前が探してこい」
そこで長真胆連(ナガマイノムラジ)は一人、花を尋ね求めて、掖上室山(ワキノカミノムラノヤマ=大和国葛上郡牟婁郷=現在の奈良県御所市室あたり)に桜を見つけて、献上しました。天皇は珍しさに喜んで、宮の名前としました。それで磐余稚桜宮(イワレノワカサクラノミヤ)といいます。それはこれが由縁です。この日に長真胆連(ナガマイノムラジ)の元の姓(カバネ)を改めて、稚桜部造(ワカサクラベノミヤツコ)というようになりました。また膳臣余磯(カシワデノオミアレシ)を名付けて、稚桜部臣(ワカサクラベノオミ)というようになりました。
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性格・能力

両枝船(フタマタブネ)
詳細はよく分からない。東南アジアの二槽をつないだ船のことかもしれない。
11月なのに桜が咲く
このお話。あながち「嘘」とは言えません。というのも桜が秋に狂い咲きをする、と言う話を聞いたことがありませんか? 桜ってのはもともとはチベットあたりにあったものが、東アジアまで流れてきたのですが、そこでは「秋」に咲いていたのですね。それを寒い地域に登ってきた中で、冬が明けて春に花が咲くように変異したのです。でも、たまーに、秋に狂い咲く個体があると。だから、この話、あながち「史実とは違う」とは言えないんですよね。
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