継体天皇(十九)勾大兄皇子は春宮につき、朕を助けて欲しい

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継体天皇(十九)勾大兄皇子は春宮につき、朕を助けて欲しい

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原文

十二月辛巳朔戊子、詔曰「朕承天緖、獲保宗廟、兢々業々。間者、天下安靜、海內淸平、屢致豊年、頻使饒国。懿哉、摩呂古、示朕心於八方。盛哉、勾大兄、光吾風於萬国。日本邕々、名擅天下、秋津赫々、譽重王畿。所寶惟賢、爲善最樂、聖化憑茲遠扇、玄功藉此長懸、寔汝之力。宜處春宮、助朕於仁、翼吾補闕。」

現代語訳

(即位7年)12月8日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕(ワレ)は天緒(アマツヒツギ=天皇位)を受けて、宗廟(クニイエ=国家)を保つようになり、兢々業々(オソリアヤブム=うまくいっているかどうか不安視していること)していた。この頃は天下は安らかで静かで、海内(クニ=国内)は清らかで平和で、しばしば実りは豊かで、国は富んでいる。よきかな。摩呂古(マロコ=愛称で「坊や」とかそんな意味=ここでは勾大兄皇子…つまり次の安閑天皇を指している)よ! 朕の心を八方(ヤオモ=国中へ)と示すことは、良いことだ。盛りであるなぁ! 勾大兄! 吾の風(ノリ=教化すること=近隣国や民を教育し変えること)を万国(ヨロズクニ)へと広げ、照らすことが、最近は盛りであるなぁ! 日本は柔らかで平和であり、その名は天下をほしいままにしている。秋津(アキヅシマ)は盛りになり、その誉(ホマレ=名声)は畿(ウチツクニ=畿内の国)では重い。宝とするところは賢者。善いことをするのを最も楽しみとする。聖化(ヒジリノオモブケ=聖人の徳に感化すること)によって遠くまで栄え、玄功(ハルカナルイタワリ=深く大きな功)のおかげで長く栄えることになる。まことにお前の力にかかっている。春宮(ヒツギノミコノクライ=皇太子のこと)をついて、朕を助けて仁愛を民に施し、吾を助けて過ちを補ってくれ」
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解説

勾大兄皇子は皇太子に?
皇太子になった、とは書いてないのですが、皇太子という扱いになり、次の天皇にもなります。それが安閑天皇です。しかし継体天皇が82歳まで生き、即位25年を務めたせいか、安閑天皇自体は4年で崩御して、次の宣化天皇へと引き継ぐことになります。そして宣化天皇も三年で崩御です。

安閑天皇は天皇というよりは摂政」としての偉人だったのかもしれません。
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