伴跛国の戦争準備と新羅侵略

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継体天皇(二十一)伴跛国の戦争準備と新羅侵略

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原文

三月、伴跛、築城於子呑・帶沙而連滿奚、置烽候邸閣、以備日本。復、築城於爾列比・麻須比而絙麻且奚・推封、聚士卒兵器、以逼新羅。駈略子女、剥掠村邑、凶勢所加、罕有遺類、夫暴虐奢侈、惱害侵凌、誅殺尤多、不可詳載。

現代語訳

伴跛(ハヘ=慶尚北道星州付近=任那北部)は城(サシ)を子呑(シトン=地名だが未詳)・帶沙(タサ=地名だが未詳)に築いて、滿奚(マンケイ)に烽候(トブヒ=ノロシ)・邸閣(ヤ=狼煙をあげる場所)を置いて日本に備えていました。また城(サシ)を爾列比(ニレヒ)・麻須比(マスヒ)に築いて、麻且奚(マショケイ=地名だが未詳)・推封(スイフ=推火=慶尚南道密陽?)に渡しました。士卒(イクサビト=兵士)・兵器(ツワモノ)を集めて、新羅(シラキ)を攻めました。子女を捉えて、村邑(フレ)から略奪しました。凶勢(アタ=賊=敵)が襲いかかる場所は、残るものはほとんどありませんでした。その暴虐はひどいもので、苦悩と損害と陵辱と誅殺ははなはだ多いものでした。詳細は載せられない。
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解説

継体天皇(十八)百済の姐彌文貴将軍・斯羅の汶得至・安羅の辛已奚と賁巴委佐・伴跛の既殿奚と竹汶至」で日本は任那の土地である己汶(コモン)・帶沙(タサ)と百済に与えました。伴跛国も己汶(コモン)を求めたのですが、与えられなかった…という伏線があっての、このページです。

伴跛の日本に対する不満が爆発しての戦争準備と新羅への侵略が描かれています。伴跛がひどいことをした・・・と書いてありますが、これが史実かどうかはなんとも言えません。史実ではないとも言えないのですが、記述者や政治的な都合があるかもしれませんからね。
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