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継体天皇(二十四)武寧王の死と明の即位・二度の遷都
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現代語訳
即位12年春3月9日。弟国(オトクニ=山城国乙訓郡)に都を移しました。
即位17年夏5月。百済の王の武寧王が亡くなりました。18年春1月。百済太子の明(メイ)が即位しました。
20年秋9月13日。磐余(=奈良県桜井氏池之内?)の玉穂(タマホ)に都を移しました。
即位17年夏5月。百済の王の武寧王が亡くなりました。18年春1月。百済太子の明(メイ)が即位しました。
20年秋9月13日。磐余(=奈良県桜井氏池之内?)の玉穂(タマホ)に都を移しました。
ある本によると即位7年といいます。
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解説
武寧王
ここで亡くなっている百済の武寧王は武烈天皇の時代に、百済の王の末多王が無道だったことから、嶋王という新しい王を立てました。その王が「武寧王(25代・在位502年から523年)」です。武寧王は「日本で生まれた朝鮮人」で、彼が百済の王になるということは、百済が大和朝廷の傀儡だった…という見方も出来ます。
明
この明は26代百済王の「聖王(在位523年から554年)」です。聖王の本名を「明」ということがは中国の史書の「梁書」にもあるので間違いないでしょう。
遷都
どうして遷都したんでしょうかね?
ここで亡くなっている百済の武寧王は武烈天皇の時代に、百済の王の末多王が無道だったことから、嶋王という新しい王を立てました。その王が「武寧王(25代・在位502年から523年)」です。武寧王は「日本で生まれた朝鮮人」で、彼が百済の王になるということは、百済が大和朝廷の傀儡だった…という見方も出来ます。
明
この明は26代百済王の「聖王(在位523年から554年)」です。聖王の本名を「明」ということがは中国の史書の「梁書」にもあるので間違いないでしょう。
遷都
どうして遷都したんでしょうかね?
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