帝王は自ら耕し、后妃は自ら蚕に桑の葉を

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継体天皇(九)帝王は自ら耕し、后妃は自ら蚕に桑の葉を

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原文

戊辰、詔曰「朕聞、土有當年而不耕者則天下或受其飢矣、女有當年而不績者天下或受其寒矣、故、帝王躬耕而勸農業、后妃親蠶而勉桑序。況厥百寮曁于萬族、廢棄農績而至殷富者乎。有司、普告天下令識朕懷。」

現代語訳

(即位1年)3月9日。継体天皇は詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕(ワレ)が聞いたところによると、士年(オトコトシ)にあたって、耕(タツクル=田を耕す)をしないと、天下は飢えることがある。女年(メノコトシ)に当たって、糸を紡ぎ布を織らないでいると、天下は寒さに凍えることがある。帝王(スミラミコト)が自ら田を耕し、農業を勧め、后妃(キサキ)が自ら蚕を飼い、桑の葉を与える時間になると勉めるようにする。言わずもがな、そこらへんの百僚(ツカサツカサ=役人・官僚)から万族(オオミタカラ=国民全て)に至るまで、農業と紡績を廃棄して、賑わい栄えることなど無い。有司(ツカサ=役人・官僚)は天下に発して、朕(ワレ)が思うことを、広めるのだ」
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解説

所信表明といったところでしょうか
どうやら当時の日本は「農業」と「紡績」が大事だったようで、天皇が自ら耕し、皇后が自ら蚕を飼う…なんてなかなか牧歌的な国家?のような気がします。

これらの表現(国の根本は農業と紡績)は確かに中国の影響という捉え方もできるのですが、ではこれ以前の天皇に、同様な「絹製品を重要視する」表現があったのかというと、ちょっと無い。少なくとも、ここまでハッキリと「国家の根本は農業と紡績」とは言っていない。ということは、蚕の生産がこの時期に浸透しきったのだと思います。これ以前、いや、考古学的な物証でいうと弥生時代には絹織物はあったのですから、絹製品自体はすでに日本にあったのだけども、それが広がるまでに時間がかかった。また、その絹製品に「税金」をガッツリと掛けるようになったのがこの時期で、その収入が結構多かったのではないかと。
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