己能末多干岐の訴え

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継体天皇(三十四)己能末多干岐の訴え

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原文

夏四月壬午朔戊子、任那王己能末多干岐、來朝(言己能末多者、蓋阿利斯等也)、啓大伴大連金村曰「夫海表諸蕃、自胎中天皇置內官家、不棄本土、因封其地、良有以也。今新羅、違元所賜封限、數越境以來侵。請、奏天皇、救助臣国。」大伴大連、依乞奏聞。

現代語訳

(即位23年)夏4月7日。任那王の己能末多干岐(コノマタカンキ)が朝廷に来ました。
己能末多(コノマタ)は阿利斯等(アリシト)だと思われる。

大伴大連金村(オオトモノオオムラジカネムラ)に言いました。
「その海表(ワタノホカ=海外)の諸蕃(トナリノクニ)は胎中天皇(ホムダノミカド=応神天皇)のときに内官家(ウチツミヤケ=皇室の直轄領)を置いてから、本土(モトツクニ)は捨てず、その土地を管理させてきたのは、まことに理由のあることです。今、新羅(シラキ)は元々から与えられた土地とは違って、しばしば国境を越えて、来て侵略をします。お願いですから、天皇に申し上げてください。わたしめの国を救ってくださいと」
大伴大連は乞われたままに天皇に申し上げました。
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解説

大伴金村が話を聞いてそれを継体天皇に奏上するという形式の話が多いところを見ると、継体天皇は大伴金村の「傀儡」だったのではないか?と思われてもしょうがないでしょうね。
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