即位24年春2月1日の詔

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継体天皇(三十八)即位24年春2月1日の詔

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原文

廿四年春二月丁未朔、詔曰「自磐余彦之帝・水間城之王、皆頼博物之臣・明哲之佐。故、道臣陳謨而神日本以盛、大彦申略而膽瓊殖用隆。及乎繼體之君、欲立中興之功者、曷嘗不頼賢哲之謨謀乎。爰降小泊瀬天皇之王天下、幸承前聖、隆平日久、俗漸蔽而不寤、政浸衰而不改。但須其人各以類進、有大略者不問其所短、有高才者不非其所失。故、獲奉宗廟、不危社稷、由是觀之、豈非明佐。朕承帝業、於今廿四年、天下淸泰、內外無虞、土壤膏腴、穀稼有實。竊恐、元々由斯生俗・藉此成驕。故、令人舉廉節、宣揚大道、流通鴻化。能官之事、自古爲難。爰曁朕身、豈不愼歟。」
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現代語訳

即位24年春2月1日。詔(ミコトノリ)して言いました。
磐余彦(イワレビコ神武天皇)の帝・水間城之王(ミマキノキミ=崇神天皇)から、皆、博識な臣の明晰で賢い助けに頼ってきた。道臣(ミチノオミ)が計画を述べて、神日本(カムヤマト=神武天皇?)で盛りとなりました。大彦(オオビコ=孝元天皇の皇子で四道将軍の一人)が計画を述べて膽瓊殖(イニエ=崇神天皇)で盛りとなりました。継体(ヒツギ=ここでは後継者のこと)の君主に中興之功(ナカゴロオコリイタワリ)を立てようとするときには、昔から賢い計画によってきました。小泊瀬天皇が天下の王のときに、盛りが降ってしまったが、幸いなことに前の聖人を受けて、平穏な日が長く続いている。俗人は暗くなり目を覚まさない。政治は衰えても改めない。その人の各々の類(タグイ)を進むだけだ(自分のことしかしない)。大略(タバカリ=深謀遠慮)があるものは、その所短(タラズ)を問わない。高い才能があるものはその所失(アヤマツ)を批判しない。宗廟(イエ=祖先を祀る施設)を護り奉り、社稷(クニ=天神と穀物神を祀る施設)を危険にしない。これによって見れば、どうして明佐(タスケ)があると言えないか(助けはある)。朕は帝業(アマツヒツギ)を受けて、今、24年。天下は清らかで太平で、内外に憂いは無い。土地は肥え、穀物による実りと稼ぎがある。密かに恐れているのは元元(オオミタカラ=国民)がそれで俗(慣習・風習)となって、それで驕りに成ってしまうのではないか?ということだ。人を清廉で節度あるようにして、大いなる道を述べ、大いなる教化(=天子の文化・思想を広げること)を流通させ、能官(ツカサメシ=才能のある人物を役人にすること)することは古くから難しいこととされている。朕の身にいたって、慎まなくてはいけない」
と言いました。
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解説

すいません
文章むちゃくちゃです

この文章は例によって「芸文類聚」からの引用を改ざんしたものです。この文章は本来は、「臣下が王をたしなめる」発言であって、王の発言ではないものです。

これって案外と「実際に継体天皇が発言した」のかもしれません。継体天皇の側近が用意した「文章」を実際に継体天皇が読んだ。それがこの文章だった…のかもしれません。
神武天皇崇神天皇と武烈天皇
この記事の中で、神武天皇と崇神天皇が特別視されているのが分かります。これ以前の記事では応神天皇が特別視されていることを考えると、この「神」という名前は、大和朝廷が発展する上での重要な役割を果たした人物に贈られるものなんでしょう。

その一方で、先の天皇が隆盛へと導いた国を小泊瀬天皇…武烈天皇がダメにしたよね。と書いてあります。武烈天皇は日本書紀を読む限り「法治主義」です。この法治主義は儒教の徳治主義とは真っ向から対立した思想ですから、武烈天皇を貶めるのは致し方ないというものです。つまり、この文章は儒教の意図が組まれている(引用だとしても)、ということです。

仮にこの記事が継体天皇が実際に発言したものだとすると、継体天皇の時代は朝廷全体が「儒教的」だったということになります。少なくとも、儒教の勢いが強かった。

個人的にはこういうことじゃないかと思うのです。

新羅と百済との関係がギクシャクして来た背景には、日本式の価値観である「和」が、儒教の価値観と相容れなかったからというのがあります。「仲良くしよう。僕らは同等だよ」という「和」と、「上下関係が大事。どっちが上かハッキリさせ、下は上に絶対服従」という「儒教」ではそりゃうまくいかない。

そこで大和朝廷は儒教を運営に取り入れることにした。その「所信表明」がこの文章だったんでしょう。なにせ「国の内外は平穏」と書いているんですが、国内はともかく、朝鮮半島では混乱が続いているんですよ。辻褄が合わない。この記事の意味は「儒教が大和朝廷に本格的に入った」ことと、その所信表明として実際に「発布」があったということじゃないかと思うのです。
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