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継体天皇(三)丹波国の桑田郡の倭彦王
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天皇年五十七歲、八年冬十二月己亥、小泊瀬天皇崩、元無男女、可絶繼嗣。
壬子、大伴金村大連議曰「方今絶無繼嗣、天下何所繋心。自古迄今、禍由斯起。今、足仲彦天皇五世孫倭彦王、在丹波国桑田郡。請、試設兵仗、夾衞乘輿、就而奉迎、立爲人主。」大臣大連等一皆隨焉、奉迎如計。於是、倭彦王、遙望迎兵、懼然失色、仍遁山壑、不知所詣。
壬子、大伴金村大連議曰「方今絶無繼嗣、天下何所繋心。自古迄今、禍由斯起。今、足仲彦天皇五世孫倭彦王、在丹波国桑田郡。請、試設兵仗、夾衞乘輿、就而奉迎、立爲人主。」大臣大連等一皆隨焉、奉迎如計。於是、倭彦王、遙望迎兵、懼然失色、仍遁山壑、不知所詣。
現代語訳
継体天皇は57歳で、武烈天皇即位8年の冬12月8日。小泊瀬天皇(オハツセノスメラミコト=武烈天皇)が崩御しました。もとから男女の子息子女がおらず、後継が絶えてしまいました。
12月21日。大伴金村大連は話し合って言いました。
「まさに今、絶えてしまって後継者がいない。天下は、どこを心の拠り所にすればいいのだろうか。古くから今に至るまで、禍(ワザワイ)はこうして起こるものだ今、足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト=仲哀天皇)の五世の孫の倭彦王(ヤマトヒコノオオキミ)が丹波国の桑田郡(クワタノコオリ=現在の京都府北桑田郡・亀岡市)にいる。請い願って兵仗(ツワモノ=武器)を設けて、乗輿(ミコシ)を挟んで守って、行って迎えて奉り、人主(キミ=ここでは天皇のこと)としよう」
大臣・大連は一つにまとまり、従って、計画通りに迎え奉りました。すると倭彦王は遠く遥かに迎えに来た兵を眺望して、恐れて、顔色を失って(=顔を青くして)しまいました。それで山谷へと逃げて隠遁して、どこにいるのか分からなくなりました。
12月21日。大伴金村大連は話し合って言いました。
「まさに今、絶えてしまって後継者がいない。天下は、どこを心の拠り所にすればいいのだろうか。古くから今に至るまで、禍(ワザワイ)はこうして起こるものだ今、足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト=仲哀天皇)の五世の孫の倭彦王(ヤマトヒコノオオキミ)が丹波国の桑田郡(クワタノコオリ=現在の京都府北桑田郡・亀岡市)にいる。請い願って兵仗(ツワモノ=武器)を設けて、乗輿(ミコシ)を挟んで守って、行って迎えて奉り、人主(キミ=ここでは天皇のこと)としよう」
大臣・大連は一つにまとまり、従って、計画通りに迎え奉りました。すると倭彦王は遠く遥かに迎えに来た兵を眺望して、恐れて、顔色を失って(=顔を青くして)しまいました。それで山谷へと逃げて隠遁して、どこにいるのか分からなくなりました。
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解説
逃げる後継者
近江出身(現在の滋賀)の継体天皇。そして丹波国(現在の京都)の倭彦王。この地域に天皇の血を引いた人物がポコポコと住んでいたのではないかと。
近江出身(現在の滋賀)の継体天皇。そして丹波国(現在の京都)の倭彦王。この地域に天皇の血を引いた人物がポコポコと住んでいたのではないかと。
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継体天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 継体天皇(一)出自
- Page2 継体天皇(二)父王の死・母の振媛の実家の越後国高向へ
- Page3 継体天皇(三)丹波国の桑田郡の倭彦王
- Page4 継体天皇(四)枝孫の中の賢者・男大迹王はすでに帝のよう
- Page5 継体天皇(五)河内馬飼首荒籠の使者と樟葉宮
- Page6 継体天皇(六)大臣・大連・将相・諸臣が寡人を推す
- Page7 継体天皇(七)神祇伯に神を祭らせ皇子を求めてください
- Page8 継体天皇(八)手白香皇女を娶り、天国排開廣庭尊が生まれる
- Page9 継体天皇(九)帝王は自ら耕し、后妃は自ら蚕に桑の葉を
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