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斯主社(住吉大社)
漢字・読み | コノヌシシャ |
概要
住所大阪府大阪市住吉区住吉大社内
祭神国盛霊神(クニモリノミタマノカミ)
住吉大社の神主の津守家は、鎌倉幕府を開いた「源氏」の親戚にあたります。
また島津氏の祖、島津忠久にはこんな伝説があります。
源頼朝は丹後局(タンゴノツボネ)を愛し身ごもるのですが、丹後局は正室(本妻)の北条政子に睨まれて、逃げて住吉大社にたどり着きます。そして住吉大社で雨の日に狐火に照らされて子供を産みました。それが島津忠久というのです。
この話が史実かどうかは別にして、頼朝と住吉というキーワードが結びついているところを見ると、頼朝と住吉は単なる「親戚」というわけではなかった…少なくとも当時の認識ではそうだったと思われます。
祭神国盛霊神(クニモリノミタマノカミ)
住吉大社の神主の津守家は、鎌倉幕府を開いた「源氏」の親戚にあたります。
wikipedia
清和源氏武士団を最初に形成した源満仲は、摂津守であった天禄元年(970年)に住吉大社に参籠し、住吉大神の神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を源氏の本拠地としている。源満仲の三男で河内国壺井(大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とした源頼信を祖とする河内源氏とは源為義の頃には婚族の関係にあった。河内源氏の後裔で鎌倉幕府を開いた源頼朝が建久6年(1195年)3月の上洛の際、住吉大社に多数の御家人を集め流鏑馬を行っている。
清和源氏武士団を最初に形成した源満仲は、摂津守であった天禄元年(970年)に住吉大社に参籠し、住吉大神の神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を源氏の本拠地としている。源満仲の三男で河内国壺井(大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とした源頼信を祖とする河内源氏とは源為義の頃には婚族の関係にあった。河内源氏の後裔で鎌倉幕府を開いた源頼朝が建久6年(1195年)3月の上洛の際、住吉大社に多数の御家人を集め流鏑馬を行っている。
また島津氏の祖、島津忠久にはこんな伝説があります。
源頼朝は丹後局(タンゴノツボネ)を愛し身ごもるのですが、丹後局は正室(本妻)の北条政子に睨まれて、逃げて住吉大社にたどり着きます。そして住吉大社で雨の日に狐火に照らされて子供を産みました。それが島津忠久というのです。
この話が史実かどうかは別にして、頼朝と住吉というキーワードが結びついているところを見ると、頼朝と住吉は単なる「親戚」というわけではなかった…少なくとも当時の認識ではそうだったと思われます。
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