崇峻天皇の治世

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崇峻天皇の治世

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書き下し文

弟、長谷部の若雀の天皇、倉椅の柴垣の宮に坐しまして天の下治しめすこと肆歳【壬子の年の十一月十三日に崩りき】。 御陵は倉椅の岡の上に在り。

現代語訳

(用明天皇の)弟の長谷部若雀天皇(ハツセベノワカサザキノスメラミコト)は倉椅(クラハシ=奈良県桜井市倉橋)の柴垣宮(シバガキノミヤ)に居て天下を4年、治めました。壬子の年の十一月十三日に崩御しました。御陵(ミササギ=墓)は倉椅(クラハシ)の岡の上に在ります。

解説

崇峻天皇は蘇我馬子に殺された
古事記にはそういう記述は一切ありませんが、崇峻天皇は蘇我馬子に殺されています。蘇我馬子は「用明天皇の妃と子息子女」に出る宗賀稲目宿禰大臣…つまり蘇我稲目(ソガノイナメ)の子供です。
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