広島護国神社

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広島護国神社

漢字・読みヒロシマゴコクジンジャ
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概要

明治に戊辰戦争の英霊を祭るために作られた水草霊社が元。水草霊社の水草がどういう意味か不明。知ってる人が居たら教えてほしい。

歴史のある神社とは違いますが、広島という土地の性質上、この神社の意義は単純なものではないです。原爆で消えたものの、市民の手で復活。原爆によって亡くなった霊も祭られています。

歴史背景

明治元年 1868年 11月
戊辰戦争で死亡した広島藩士を祭る水草神社(水草霊社)として戦死者78柱を祭ったのが始まり。水草霊社は二葉の里にあった。二葉の里は現在饒津神社や広島東照宮がある地域。

明治8年 1876年
官祭招魂社となりました。これは明治維新以降に国のために亡くなった霊を祭る神社という意味。

明治34年 1901年
「官祭広島招魂社」と改称。

昭和9年 1934年
西練兵場(旧広島市民球状のあたり)に社殿が作られ、「広島護国神社」と改称(改称は昭和14年1939年)。旧広島市民球状のあたりとなると、原爆ドームの目の前。つまり爆心地とは目と鼻の先です。

昭和20年
原爆によって大鳥居以外は完全に消失。唯一残った大鳥居は中国放送(RCC 広島県広島市中区基町21番3号)の横へ移設し、祠がある。

昭和22年 1947年
昭和天皇が広島に行幸(【ギョウコウ】=天皇が行くこと)するので広島城敷地内に奉迎場(=イベント会場)を作りました。

昭和31年 1956年
広島城の奉迎場に広島護国神社移転。

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