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ヒトコトヌシ
漢字・読み | 一言主 |
物語・由来
古事記での表記
雄略天皇が葛城山に登ったところ、そこで同じ衣服を来た集団と出会いました。
それを見た雄略天皇は
「大和にわたし以外の王は居ない」
と言いました。
古代では、現代のように権力者の顔が分かりません。そこで誰が王なのかは「服」や「装飾品」で表現しました。これは見栄もありますが、業務を円滑に行う為には必要なことでした。同じ服を着ているということは『王』の集団が居るということになります。
雄略天皇はその人物に名を問いますが、
その人物に同じ言葉で返されました。
山には神が居て、山で大声を出すと『木霊(コダマ)』が返って来ます。ヒトコトヌシは木霊…つまり『言葉』に関わる神です。
もう一度、雄略天皇が名を問うと、
「吾は悪事も一言、善事も一言、言い放つ神、葛城の一言主大神ぞ」
と答えました。
雄略天皇は服と武器を差し出し、ヒトコトヌシは受け取ると山の麓まで送りました。
その後の変遷
『日本書紀』では天皇と一言主(ヒトコトヌシ)は一緒に狩りを楽しむ関係です。
『続日本紀』では天皇と狩りをして、負けて土佐に高鴨神(タカカモノカミ)が流されます。この高鴨神が一言主(ヒトコトヌシ)とされます。
『日本霊異記』では一言主(ヒトコトヌシ)は役行者と戦い、負けて呪縛されて逃げられない神とされている。
『枕草子』は一言主は醜い神で明るいうちは見られないとされます。
個人的コラム
古事記では雄略天皇を恐れさせる一言主ですが、徐々にその扱いが悪くなって行きます。特に古事記と日本書紀でも違うことを「天皇家が葛城の祭祀」を奪ったとか勢力下に置いたためとよく言われます。
わたし個人は勢力がどうこうではなく、「神」の意義が変わったのではないか?と思っています。
わたし個人は勢力がどうこうではなく、「神」の意義が変わったのではないか?と思っています。
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