中国の太陽神話

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中国の太陽神話

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物語・由来

『山海経』海外東経では…
太陽が10個あった。
毎日、この10個のうちの一つが東の暘谷(ヨウコク)で水浴びをします。
そして谷の扶桑の樹から空を登って、西へと移動します。
それが一日でした。
扶桑の木があるのが東だったので日本のことを扶桑国と呼ぶことがあります。


『楚辞』天問篇では…
太陽の中には三本足のカラスが居ます。
10個の太陽が堯(ギョウ)の時代に一度に現れました。
そのために地は灼熱の地獄となりました。
そこで堯は羿(ゲイ)に命令して太陽を射落としました。
●羿が射落とせたのは「太陽=カラス」という性質があったからと。
●参考:ヤタガラス


『淮南子』天文訓では…
義和(ギワ)という太陽神がいました。
この義和は東の扶桑の樹で10個の太陽の世話をしていました。
義和が6頭の竜がひいた車に太陽を乗せて、朝、東の暘谷を出て空を飛んで西の蒙谷に降ります。

『太平御覧』『初学記』『山海経』大荒南経では…
義和(ギワ)は帝俊の妻だった。
義和が10個の太陽を生んだ。

『山海経』海外北経では…
太陽は巨人の盤古(バンコ)の左目から成った。
もしくは、鍾山に燭陰という神がいて、その神の目が太陽で、閉じると夜になる。

『天中記』
鍾山に人間の首の形をした大きな岩があって、その左目が太陽、右目が月で、左目を開けば昼となり、右目が開けば夜になる。
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