若桜部臣と比売陀君と伊波礼部

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若桜部臣と比売陀君と伊波礼部

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読み下し文

天皇、ここに阿知の直を以ちて始めて藏の官に任け、また粮地を給いき。 また此の御世に若櫻部の臣等に若櫻部の名を賜い、また比賣陀の君等に姓を賜いて比賣陀の君と謂いき。また伊波禮部を定めき。
天皇の御年は陸拾肆歳【壬申の年の正月三日に崩りき】。御陵は毛受に在り。

解説

天皇は阿知直(アチノアタイ)を初めて蔵官(クラノツカサ)に任命して、粮地(タドコロ=私有地)を与えました。この時代に若桜部臣(ワカサクラベノオミ)たちに若桜部の名前を与え、比売陀君(ヒメダノキミ)たちに姓を与えて比売陀君(ヒメダノキミ)となりました。また、伊波礼部(イワレベ)を定めました。

天皇の年齢は64歳。壬申の年の正月三日に崩御しました。御陵(ミササギ)は毛受(モズ=大阪府堺市石津ヶ丘、仁徳天皇陵の南)にあります。
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解説

阿知直は履中天皇が墨江中津王に殺されそうになったときに助け出した人物。これを倉庫の管理者に任命した。倉庫の管理者ってのはようは現在でいうところの「大蔵大臣」。ちなみに阿知直は帰化人です。

実は帰化人は大和朝廷の「財政」「歴史書」といった部署に大勢が関わっています。彼らがどうしてそんなのに関わっているのはハッキリとはわかっていませんが、私は「穢れ」だと考えています。

歴史書の本も財政の帳簿も「文字」が必要です。「文字を書く」には「筆」が必要です。「筆」には「動物の毛皮」が必要ですが、穢れのロジックがある日本では毛皮に触れることができず、よって筆に触れません。ところが朝鮮・中国人は穢れなど無関係ですから、上記の仕事につくことが出来るわけです。

もしかすると、「日本人は文字が読めないし書けない、遅れていた」と指摘する人もいるかもしれませんが、それは極論でしょう。日本人が他国の文化を吸収する能力は異常です。それが発揮されなかったのには、それなりの理由がないとおかしい。それが穢れだった、そう考えています。

履中天皇が政治を行った場所が「磐余稚桜宮(イワレワカサクラノミヤ)」で、そこに仕えたのが「若桜部」です。
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