山背大兄王の主張

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舒明天皇(七)山背大兄王の主張

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原文

於是、大兄王、且令問之曰「是遺詔也、專誰人聆焉。」答曰「臣等、不知其密。」既而更亦令告群大夫等、曰「愛之叔父、勞思、非一介之使遣重臣等而教覺、是大恩也。然、今群卿所噵天皇遺命者、少々違我之所聆。吾、聞天皇臥病而馳上之侍于門下。時、中臣連彌氣、自禁省出之曰、天皇命以喚之。則參進向于閤門。亦、栗隈采女黑女、迎於庭中引入大殿。於是、近習者栗下女王爲首、女孺・鮪女等八人、幷數十人侍於天皇之側。且、田村皇子在焉。時、天皇、沈病不能覩我。乃栗下女王奏曰、所喚山背大兄王參赴。卽天皇起臨之詔曰『朕、以寡薄久勞大業。今曆運將終、以病不可諱。故、汝本爲朕之心腹、愛寵之情不可爲比。其国家大基、是非朕世、自本務之。汝雖肝稚、愼以言。』乃當時侍之近習者、悉知焉。故、我蒙是大恩而一則以懼一則以悲、踊躍歡喜不知所如。仍以爲、社稷宗廟重事也、我眇少以不賢、何敢當焉。當是時思欲語叔父及群卿等、然未有可噵之時、於今非言耳。吾曾將訊叔父之病、向京而居豊浦寺。是日、天皇遣八口采女鮪女、詔之曰『汝叔父大臣常爲汝愁言、百歲之後嗣位非當汝乎。故、愼以自愛矣。』既分明有是事、何疑也。然、我豈餮天下、唯顯聆事耳。則天神地祇共證之。是以、冀正欲知天皇之遺勅。亦大臣所遣群卿者、從來如嚴矛(嚴矛、此云伊箇之倍虛)取中事而奏請人等也。故、能宜白叔父。」
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現代語訳

大兄王(オオエノミコ=山背大兄王)はまた問いました。
「この遺言を誰が聞いたのか?」
答えて言いました。
「私めらはそのような機密は知りません」
さらにまた、群大夫等(マヘツキミタチ=臣下たち)に言いました。
「愛する叔父(=山背大兄王の叔父は蘇我蝦夷)が私をいたわしく思い、一介の使者ではなく、重臣たちを派遣して、私に教え諭してくれた。これは大きな恩であり愛だ。しかし、今、群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)が言った天皇の遺言は少々、私が聞いたことと違う。私は天皇が病に伏せたと聞いて、参上して門下(ミカキモト)に居りました。その時、中臣連弥気(ナカトミノムラジミケ)が禁省(ミヤノウチ=宮中)から出てきて言いました。
『天皇の命令です。呼んでおります』
それで参り進み、閤門(ウチツミカド)に向かいました。また、栗隈采女黒女(クルクマノウネメクロメ)は庭中(オオバ)が迎えに来て、大殿(オオトノ=天皇の眠るところ)に引率されて入った。ここで近習者栗下女王(チカクツカエマツルモノクルモトノヒメミコ)を首(コノカミ)として、女孺(メノワラワ)・鮪女(シビメ)など8人、合わせて数十人が天皇のそばに居ました。田村皇子もいました。その時、天皇は病に沈み、私(=山背大兄王)を見ることも出来ませんでした。栗下女王は申し上げて言いました。
『呼んだ山背大兄王が参上しました』
天皇は起きて、詔(ミコトノリ)して言いました。
『朕は、寡薄(イヤシイキミ=自分を貶める言い方)でありながら、長く天皇という大業に労力を注いできた。今、まさに命運が尽きようとしている。病は避けられない。お前は、本から朕の心にあった。寵愛する心、比べるものもない。国家の大きな基盤は朕の世代だけのことではない。務(ツト)めよ。お前は幼いと言っても、謹んで発言するのだ』
その時、近くに仕えている者たちは、全員知っている。私はこの後継者指名の大恩を賜って、1度は恐れ、1度は悲しんだ。踊り、走り歓喜して、どうしていいか分からなかった。しかし考えれば、社稷宗廟(クニイエ=国家運営)は重事(オモキコト)であり、私は年少であり不賢(オサナイ)者です。どうしてこの重大事に当たればいいのでしょうか。この時、叔父と群卿等(マヘツキミタチ=臣下達)と語りたいと思っていた。だから言うべき時がなかったので、今までは言わなかっただけです。私は以前に叔父の病気を祈願しようと京に行って、豊浦寺(トユラデラ)に居た。この日に天皇は、八口采女鮪女(ヤクチノウネメシビメ)を派遣して、詔(ミコトノリ)して言いました。
『お前の叔父の大臣(=蘇我蝦夷)は常にお前を愁いて言っている。100年後にも天皇の後継にお前は当たらない…と。だから慎み、自重しなさい』
これは明らかにこのことだ。何を疑うことがあろうか。しかし、私はどうして天下を貪ろうというのか。そんなことはない。ただ聞いたことを明らかにするだけだ。つまり天神地祇(アマツカミクニツカミ)と共に証明しよう。願わくば、天皇の遺言を知りたいと思う。また大臣の派遣した群卿(マヘツキミタチ)は従来からの嚴矛(イカシホコ)
嚴矛は伊箇之倍虛(イカシホコ)と読みます

の中の取り持つようなもので、申し上げる人たちだ。だから叔父によくよく言っておくように」
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解説

山背大兄王が聞いていたのと違う
山背大兄王は推古天皇から、「務(ツト)めよ。お前は幼いと言っても、謹んで発言するのだ」と遺言を受けていて、これまでの話とは真反対ということになります。次の天皇は山背大兄王。少なくとも推古天皇の遺言はそうだったということになります。山背大兄王が言うには、この場には従者もたくさんいて、証人もいる。だから蘇我蝦夷の言っていることはおかしい。ということです。

しかし、推古天皇が山背大兄王を選ぶのは筋が通っていて、問題はありません。妙なのはやっぱり蘇我蝦夷がどうして山背大兄王を避けるのか?です。
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