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舒明天皇(八)泊瀬仲王の仲介
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既而泊瀬仲王、別喚中臣連・河邊臣謂之曰「我等父子並自蘇我出之、天下所知。是以、如高山恃之。願嗣位勿輙言。」則令三国王・櫻井臣副群卿而遣之曰「欲聞還言。」時、大臣、遣紀臣・大伴連、謂三国王・櫻井臣曰「先日言訖、更無異矣。然、臣敢之輕誰王也重誰王也。」
現代語訳
泊瀬仲王(ハツセノナカノミコ=山背大兄王の異母兄弟)は中臣連(ナカトミノムラジ)・河辺臣(カワヘノオミ)を呼び寄せて語って言いました。
「私ら親子は、蘇我の出身だ。これは天下の知っているところだ。これを高山のように、祈り、頼りにしている。請い願う。嗣位(ヒツギノクライ=天皇の後継)のことはたやすく言わないでくれ」
すぐに三国王(ミクニノオオキミ)・桜井臣(サクライノオミ)に命令して、群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)に添えて派遣して言いました。
「還言(カエリゴト=返事)を聞こうと思う」
その時、大臣(=蘇我蝦夷)は、紀臣(キノオミ)・大伴連(オオトモノムラジ)を派遣して、三国王・桜井臣に語って言いました。
「前の日に言い終わったこと。変わることは無い。しかし私めが、どこの王を軽んじて、どこの王を重んじたというのか」
「私ら親子は、蘇我の出身だ。これは天下の知っているところだ。これを高山のように、祈り、頼りにしている。請い願う。嗣位(ヒツギノクライ=天皇の後継)のことはたやすく言わないでくれ」
すぐに三国王(ミクニノオオキミ)・桜井臣(サクライノオミ)に命令して、群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)に添えて派遣して言いました。
「還言(カエリゴト=返事)を聞こうと思う」
その時、大臣(=蘇我蝦夷)は、紀臣(キノオミ)・大伴連(オオトモノムラジ)を派遣して、三国王・桜井臣に語って言いました。
「前の日に言い終わったこと。変わることは無い。しかし私めが、どこの王を軽んじて、どこの王を重んじたというのか」
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解説
山背大兄王もその異母兄弟である泊瀬王も、当然、蘇我出身の人間です。彼らも、そこのところは分かっていて、「蘇我なんだからさー」と懐柔しようとしますが、全然うまくいかない。
もしかするとこれは単純に蘇我内部の権力争いなのかもしれません。というのも、この時代には1氏に1人が代表として大和朝廷に参加するのがルールだったからです。山背大兄王が「蘇我代表は蝦夷以外で」とすれば、蘇我蝦夷は中央から追い出されてしまう。そういう恐怖があったのかもしれません。
もしかするとこれは単純に蘇我内部の権力争いなのかもしれません。というのも、この時代には1氏に1人が代表として大和朝廷に参加するのがルールだったからです。山背大兄王が「蘇我代表は蝦夷以外で」とすれば、蘇我蝦夷は中央から追い出されてしまう。そういう恐怖があったのかもしれません。
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舒明天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page4 舒明天皇(四)山背大兄は三国王と桜井臣和慈古を派遣して蝦夷に問う
- Page5 舒明天皇(五)一人では答えられず・蝦夷の言い訳
- Page6 舒明天皇(六)斑鳩宮での三国王と桜井臣の伝達
- Page7 舒明天皇(七)山背大兄王の主張
- Page8 舒明天皇(八)泊瀬仲王の仲介
- Page9 舒明天皇(九)磯城嶋宮御宇天皇から現在まで
- Page10 舒明天皇(十)干支の義・境部摩理勢は斑鳩の泊瀬王のもとへ
- Page11 舒明天皇(十一)大臣の摩理勢への怒り・山背大兄王の説得
- Page12 舒明天皇(十二)摩理勢臣の慟哭
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