安保法制を日本文化と言霊信仰で考える

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安保法制を日本文化と言霊信仰で考える

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概要

まとめ
●日本人は言葉が現実化すると思っている。
●よって悪い事態を口にすると実際に悪いことが起きると考える。
●そのために最悪の事態を想定することができない。
●この言霊信仰が最悪の形で現れたのが福島原発事故。
●津波・地震を想定して口にすると「事故が起きる可能性がある」「やっぱり危ないんじゃないか」と批判があるために、「最悪の地震・津波」を想定しないし、十分な対応マニュアルを作れない。
●マニュアルを作ったり、法整備をしたり、対策をすると「事故が起きる」となる。
●安保法制も全く同じ。
●戦争に関する法制ではあるが、だから戦争が起きるのではなく、戦争が起きた時にどうするのかという法制。
●戦争が起きてから、安保法制を作っても遅い。
●安保法制があることと、戦争が起きることに因果関係がないが、これが関係していると考えるのは言霊信仰のため。合理的な考え方ではない。
●日本人は言霊信仰がある。よってこれを考慮して、安保の法制や、安全の法制・対応は行っていかないといけない。
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日本人と言霊信仰

日本人は言霊を信じています。信じているというか生活や感覚に染み付いていて、信仰しているのではなくて、日本文化と完全に同化しているのですね。日本人は同化しすぎて、自覚が一切ありません。

例えば、日本人は結婚披露宴の時に、
「別れる」という言葉をスピーチで発するのを嫌います。
なぜかというと「別れる」という言葉が現実化するからです。

一方でキリスト教では神父・牧師は新郎新婦にこう聞きます。
「病める時も、貧しい時も、愛しますか?
死が二人を分かつまで、愛しますか?」
結婚という場で「最悪の状態」を想定して、「その時どうするの?」と聞いているのですね。まぁ、よく考えたら当然なんですよ。前もって、最悪の状態を想定しておいた方がいいですよね。それにキリスト教などの一神教では神との契約は絶対で、現在こそ当たり前に離婚しますが、昔は離婚できませんでした。だからこそ、結婚する時は「最悪の状態」を想定して、確認しておかないといけないんです。

これが日本人はできない。
なぜなら、最悪の状態を口にすると「現実化」すると考えているからです。
この言霊信仰が最悪の形で現れたのが「福島原発事故」です。
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言霊信仰が起こした最悪の事故…福島原発事故

対応マニュアル・法整備と事故発生は無関係
原発事故が起きたことを想定したマニュアルを作ろうとすると、原発反対派から「ほら! 事故が起きるんじゃないか!」となる。いやいや、原発を作った以上は事故対応マニュアルとしっかりと作らないといけない。事故が起きたときのためにヨウ素を配っておかないといけない。それ(事故が起きること)とコレ(事故対応・対策をすること)とは関係ないのです。

ところが因果関係があると日本人は考える。だから、事故の対策をすることを理由に、危険性がある証拠とする。なぜなら、言葉が現実化すると思っているからです。福島原発事故の場合は、実際に事故が起きたのだから、この考え方は問題がない、と思いがちですが、女川原発だって津波が襲っているのです。女川がメルトダウンせず、福島がメルトダウンした違いは「微妙な差」なんです。おそらく対応マニュアルをシッカリと作り、法整備をすれば、防げたでしょう。少なくとも防ぐ可能性はぐっと上がった。ところが「事故が起きたとしたら」と言葉にすることができないから、対応マニュアルも十分に作れないし、そもそも大きな地震を想定した対策もできない。想定したら「現実に起きうる」となるからです。それとこれとは関係ないのにです。
法整備もされていないので、誰にも責任はない、となる
また、そのせいで事故が起きた時の責任問題も法律で定めることが出来ませんでした。だから現在でも、東電の役員も原子力規制委員会も、刑事罰を受けることがありません。なぜなら、事故が起きた場合の責任の所在を明記した法律を作ると「事故が起きる」となるからです。いや、正確には「法律を作るだけで、事故が起きる可能性が十分にあると認めることになるし、原発が安全で事故が起こらないなら法律は作らないでいいだろう」「そんな事故を想定して法律を作るなら、原発を作るな」と考えるのですね。これは「事故が起きる可能性があること」と「実際に事故が起きること」と「事故の対策をすること」を別々に考えていないからです。
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安保法制と言霊信仰

安保法制も全く同じです。

安保法制は自衛隊が後方支援するための法律です。後方支援だって戦地に行くことは変わりありません。だから、戦争に参加するのです。だからこの法制は戦争をする法律だ…そこのところはその通りなのですが、それと「実際に戦争に参加すること」とは関係ありません。
「戦争をしないなら、そんな法律は必要ないだろう」
「法律を制定するのは戦争をするからだろう」
「だから、これは戦争法制だ」
「戦争法制は廃止だ」
そもそも、この安保法制があろうがなかろうが、戦争は起きます。
なにせ、この安保法制で想定している「戦争」は日本だけでは成立しません。この法制は「後方支援ができるようになる」法律だからです。戦争する相手が必要だし、後方支援する相手も必要です。この安保法制は非常に受動的なんです。
それに、戦争が起これば、日本は同盟国であるアメリカを支援しなくてはいけません。これは法律があろうとなかろうと、同盟国にはそういう義務があります。むしろ、安保法制が無ければ、その時の状況に応じて前線で戦う可能性もあります。

それとこれとは関係ありません。
ですが、安保法制があれば「戦争が起きる」と考える日本人が多いのは結局、「言霊信仰」があるからです。

また、そもそもこの安保法制というのは、戦争が起きた時にどうするか? 戦争の時に、何ができて、何ができないか?を定めた法制なんですね。つまり「最悪の事態」を想定した法制なんです。「戦争をするため」ではなく「戦争が起きたらどうするか?」なんです。実際に、最悪の事態が起きてから、法制を作っていては間に合いません。だから、今のうちに「最悪の事態を想定して安保法制を作っておく」だけなんです。ところが反対する人がいる。これは日本人の悪い性質です。福島の原発事故の二の舞になりかねないのです。最悪の事態を避けているだけなんです。「最悪の事態」を想定して対策をすることで、多くの被害を防ぐことができますよね。これが間違いないことは誰にでも分かりますよね。それが分かっていても反対するのは、結局、言霊信仰が強いからです。
日本の文化を考慮した法整備や対策を!
法律…特に国際的な法律や、安全に関する法律の場合は、日本人のこういった文化(言霊信仰・穢れ信仰)を考慮しておかないといけません。
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