斉明天皇(十六)坂合部連石布と津守連吉祥の唐行き・伊吉連博徳の書

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斉明天皇(十六)坂合部連石布と津守連吉祥の唐行き・伊吉連博徳の書

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原文

秋七月丙子朔戊寅、遣小錦下坂合部連石布・大仙下津守連吉祥、使於唐国。仍以陸道奧蝦夷男女二人示唐天子。

伊吉連博德書曰「同天皇之世、小錦下坂合部石布連・大山下津守吉祥連等二船、奉使吳唐之路。以己未年七月三日發自難波三津之浦、八月十一日發自筑紫大津之浦。九月十三日行到百濟南畔之嶋、嶋名毋分明。以十四日寅時、二船相從放出大海。十五日日入之時、石布連船、横遭逆風漂到南海之嶋、嶋名爾加委。仍爲嶋人所滅、便東漢長直阿利麻・坂合部連稻積等五人、盜乘嶋人之船、逃到括州。州縣官人、送到洛陽之京。十六日夜半之時、吉祥連船、行到越州會稽縣須岸山。東北風、風太急。廿二日行到餘姚縣、所乘大船及諸調度之物、留着彼處。潤十月一日行到越州之底。十五日乘驛入京。廿九日馳到東京、天子在東京。卅日、天子相見問訊之、日本国天皇平安以不。使人謹答、天地合德、自得平安。天子問曰、執事卿等好在以不。使人謹答、天皇憐重亦得好在。天子問曰、国內平不。使人謹答、治稱天地萬民無事。天子問曰、此等蝦夷国有何方。使人謹答、国有東北。天子問曰、蝦夷幾種。使人謹答、類有三種。遠者名都加留、次者麁蝦夷、近者名熟蝦夷。今此熟蝦夷毎歲入貢本国之朝。天子問曰、其国有五穀。使人謹答、無之。食肉存活。天子問曰、国有屋舍。使人謹答、無之。深山之中、止住樹本。天子重曰、朕見蝦夷身面之異極理喜怪、使人遠來辛苦、退在館裏、後更相見。
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現代語訳

(即位5年)秋7月3日。小錦下(ショウキンゲ)の坂合部連石布(サカイベノムラジイワシキ)・大仙下(ダイセンゲ)の津守連吉祥(ツモリノムラジキサ)を使者として、唐国(モロコシ)に派遣しました。それで道奥(ミチノク)の蝦夷の男女2人を唐(モロコシ)の天子に示し見せました。
伊吉連博徳(イキノムラジハカトコ)の書によると、この天皇の世に小錦下の坂合部石布連(サカイベノイワシキノムラジ)・大山下(ダイセンゲ)の津守吉祥連(ツモリノキサノムラジ)たちの2つの船は呉唐(クレモロコシ=呉はこの時代には無いが、江南地域を表す言葉として残っていた)の路に遣わされました。
己未年(=斉明天皇即位5年)の七月三日に難波の三津浦から出発しました。
8月11日。筑紫の大津の浦(=博多港)から出発しました。
9月13日。百済の南の畔の嶋に到着しました。嶋の名ははっきりしたものはありません。
9月14日の寅の刻(午前4時)に2つの船は互いに従って、大海(オオウナハラ)に放たれ出でました。
9月15日の日の入りの時に、石布連(イワシキノムラジ)の船は横に逆風を受けて、南の海の嶋に漂着しました。嶋の名前は爾加委(ニカイ?ネカワ?)と言います。嶋の人のために滅ぼされました。東漢長直阿利麻(ヤマトノアヤノナガノアタイアリマ)・坂合部連稲積(サカイベノムラジイナツミ)たち5人は、嶋の人の船を盗み、乗って、逃げて、括州(カツシュウ=中国の江南道の一部=現在の浙江省麗水)に到着しました。州県(シュウケン)の官人(ツカサ=役人)は洛陽の京(ミヤコ)に送り、到着しました。
9月16日の夜中に吉祥連(クサノムラジ)の船が越州(=江南道の一部。括州より北。杭州湾南岸)の会稽県(カイケイケン=現在の浙江省興紹)の須岸山(シュガンサン=舟山列島の須岸島?)に到着しました。東北の風が吹いていて、風がひどく強く早かった。
9月22日。余姚県(ヨエウケン=現在の浙江省余姚)に到着しました。乗った大船と諸々の調度物(ソナエツモノ)をその土地に留め置きました。
潤10月1日。越州の底(モト)に到着しました。
潤10月15日。駅(ハイマ=早馬)に乗って京に入りました。
潤10月29日。走って、東京に至りました。天子は東京にいました。
潤10月30日。天子は見て問い尋ねました。
「日本国の天皇は平安にしているか、どうか?」
使者は謹んで答えました。
「天地の徳を合わせて自然と平安になることが出来ています」
天子は問い、言いました。
「仕事を執務する卿(マヘツキミ=臣下)たちは、元気にしているのか?」
使者は謹んで答えました。
「天皇が憐憫の情を重ねていただけるので、また元気でいられるのです」
天子は問い、言いました。
「国内は平穏かどうか?」
使者は謹んで答えて言いました。
「天地を治めて、すべての民に大事はありません」
天子は問い、言いました。
「これらの蝦夷の国はどこの方にあるのか?」
使者は謹んで答えて言いました。
「国は東北にあります」
天子は問い、言いました。
「蝦夷は何種、いるのか?」
使者は謹んで答えて言いました。
「三種類、あります。
遠いものを都加留(ツカル=津軽)と名付けて
次のものを麁蝦夷(アラエミシ)と名付け、
近いものを熟蝦夷(ニキエミシ)と名付けました。
今、ここに連れてきたのは熟蝦夷(ニキエミシ)です。と仕事に本国(ヤマトノクニ)の朝廷に入り、献上品を貢いでいます」
天子は問い、言いました。
「その国に、五穀はあるのか?」
使者は謹んで答えて言いました。
「無いです。
肉を喰らって生活しています」
天子は問い、言いました。
「国に屋舎(ヤカズ)はあるか?」
使者は謹んで答えました。
「無いです。
深い山の中の木の根元に住んでいます」
天子は重ねて言いました。
「朕(ワレ=天子の一人称)は蝦夷の身面(ムクロカオ)が異なるのを見て、驚き、喜び、不思議に思った。使者は遠くから来て、辛苦を舐めたろう。退出してからは館裏(ムロツミ)に居なさい。のちに、また会おう」
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解説

最初の部分以外は、伊吉連博徳の書の引用です。かなり細かく遣唐使の道程が描かれています。長いので分けました。次のページもまだ伊吉連博徳の書の引用です。
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