白神社

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白神社

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概要

住所
広島県広島市中区中町7-24
祭神
ククリヒメカミ(菊理媛神)
イザナギ尊(伊弉諾尊)
イザナミ尊(伊弉冉尊)

物語・由来

白神社の成立が「岩礁に立てた白い紙の目印」ならば、白山比咩神社(シラヤマヒメジンジャ)の性質は後付けなのかもしれません。

ククリヒメカミ
白神社の主祭神はククリヒメカミ。イザナミが死んでしまい、イザナギ黄泉の国へと迎えに行ったのですが、イザナギが覗いて見ると、イザナミの体はすでに腐っていました。恐怖から逃げるイザナギ、「恥をかかせやがったな!」と追いかけるイザナミ。この二柱の仲介をしたのが「ククリヒメカミ」です。その後、イザナギとイザナミはめでたく離婚。
ククリヒメカミの登場はここだけで、しかも日本書紀の一説のみです。

あの世とこの世をつなぐ神
ククリヒメカミは離婚調停をする神ではなく、現世と霊界をつなぐ巫女が神格化されたもの――イタコの原型とされます。

でもククリヒメカミは白神社とはあまり関係ないのかもしれませんね。

歴史背景

旧郷社。
白神社は広島の市街地にあります。100m道路(=平和大通り)のANAクラウンプラザホテルの横に、急に木々の生えた神社があるので、広島の人は神社があるのは知っているけど、アレなんだろう?くらいに思っている人がほとんどです。

ここはかつて海岸だった
江戸時代に広島奉行管内で作られた文献『知新集』によると、白神社の場所は海岸で、しかも非常に船舶の事故が多かった。そこで事故避けとして岩礁に白い紙を立てて「目印」にしていました。ここに社(ヤシロ)を立てたのが白神社の始まり――という謂(イワ)れがあると記述があります。
知新集は江戸時代にまとめた文献ですが、白神社がいつ創建したのが具体的にはいつになるのかは分かりません。
1371年
室町時代の武将、今川了俊は足利政権に九州の平定を命じられます。当時の九州はまだ南朝の影響が強く、なかなか落とせずにいました。これを今川了俊は陥落させます。
この今川了俊を武将を書きましたが、かなりの教養人で、『道ゆきぶり』に九州への道程が描かれていて、広島付近の様子について「しほひの浜を行くほどになにとなく面白し」とあります。
つまり白神社のあたりはかなり遠浅の干潟だったということです。
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個人的コラム

伏見稲荷神社が境内内にありました。どこにでもあるな。

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