靖国神社参拝問題と日本と中国・韓国の世界観の違い

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靖国神社参拝問題と日本と中国・韓国の世界観の違い

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概要

まとめ
●日本人はあらゆるものに魂があると思っている。
●戦争など、未練を残して死んだ霊は祟る、と日本人は思っている。
●戦争の英霊は鎮魂しないと祟る。だが、しっかりと鎮魂することで、強い神となり守ってくれる。
●儒教は祖霊信仰で、先祖の霊を祀る。ひっくり返すと他人の家の霊はどうでもいい。
●日本の祖霊信仰と儒教の祖霊信仰は全く違う。日本の祖霊信仰は鎮魂であるのに対して、儒教の祖霊信仰は先祖の神格化と言ってもいい。
●靖国神社には戦犯と戦没者が一緒に祀ってある。日本人としては戦没者を鎮魂しているが、儒教は祖霊信仰であり、「大半の戦没者」を鎮魂するという感覚が薄い中国・韓国からしてみれば、「大半の戦没者」は見えず、戦犯しか見えない。よって戦犯の神格化にしか見えない。
●靖国問題の一側面は文化摩擦。
●ちなみに、911テロの後にグラウンドゼロで鎮魂の儀式がありました。グラウンドゼロでの死者は被害者だけではなく、ハイジャック犯も。だけど、「ハイジャック犯の神格化だ!」と批判する遺族は居ない。
●靖国参拝を批判するのは儒教国である中国と韓国とシンガポールだけ
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靖国に見る世界観の違い

靖国神社は明治維新で亡くなった人を祭る目的で作った神社です。全国にある護国神社はこの靖国の子会社みたいなものです。奈良の東大寺と国分寺・国分尼寺の関係と同じですね。

その靖国神社に総理大臣が参拝することが問題だ、と中国と韓国が批判をしています。ここに日本と中国と韓国の世界観の違いがあります。このページはこの違いについて述べています。どっちが正しいという話ではありません。

日本人の世界観と靖国神社

日本人は「魂」が存在し、それがあらゆるものに「存在する」と思っています。人間だけでなく、動物や、木や石や道具といった無機物にまで「魂」があると考えています。
だから、基本的に「日本人」か「日本人ではない」かは、あまり問題ではありません。大事なのは別の価値観なのですが、そのことについてはここでは述べません。

日本人はともかく、あらゆるものに魂があると考えています。その魂は「死」によって肉体を離れ自由になります。その自由な魂は何をするのか? 無念のまま死ねば、その憎しみを生者に向けて祟るのです。鎮魂しないとその無念が祟るのです。だけどしっかりと鎮魂すれば、霊は日本を守る強い神となります。これは御霊信仰です。これは加害者だろうが被害者だろうが変わりません。日本ではともかく無念を持った霊は祭らなくちゃいけないのです。

だから魂は鎮魂しないといけません。特に戦争という大きな流れの中で死んでいった魂は鎮魂しないと大変なことになります。戦争では誰も死にたくて死んだのではありません。人間は結婚し、家族とともに過ごし、そして天寿を全うするのが本来です。それが人間のあるべき「生きる形」です。それを戦争によって断絶させられたのです。第二次世界大戦とも大東亜戦争とも呼び名はどちらでもかまいません。ともかく、誰も死にたくありません。理想があろうとも、覚悟があろうとも、誰だって死にたい訳がないのです。特攻だって、別に好んで死んだのでは無いのです。家族や友達のために仕方なくなのです。他の誰かが死ぬくらいなら、俺がすすんで、ってことです。そんな犠牲の心を美化しようとしまいと、死にたいわけじゃないんです。そこが根本です。本当に仕方なくなんですよね。だから鎮魂しないといけません。無念を無視しちゃいけない。無視するってのはマズい。だって犠牲になった人たちは、かつての「私たち」なんです。時間がずれていれば、そうやって犠牲になっていたのは「私たち」なんです。だから鎮魂するのは「私たち」の義務なんだと。

また御霊信仰がありますから、そういった戦争によって亡くなった人の無念を鎮魂し浄化すれば、善い神様に変身して日本を守ってくれるのです。だから鎮魂しないといけない。
靖国は四民平等の証
靖国神社は明治維新での死者を祀ったことが始まりでした。それまでは武将や官僚を祀る神社くらいはありましたけど、「普通の庶民(人間)」を祀るなんてことはほとんどありませんでした。つまり靖国神社は明治維新で「四民平等」になった証明でもあるんです。
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中韓の世界観と靖国神社

中国と韓国が靖国参拝を批判する理由
中国と韓国は儒教の国です。
儒教の特徴が祖霊信仰です。
儒教では親が大事です。親がいないと今の自分は存在できないからです。その親はそのまた親に存在の根拠があるのです。そうやって先祖の先祖が大事になっていきます。儒教はそうして先祖と自分の繋がりを重んじます。だから先祖の霊を祀る義務が生じます。
つまりひっくり返すと先祖の霊以外はどうでもいいのです。先祖以外は祀る義務が無いのです。
なんて書くと儒教は心が狭い気がしますが、これは単に優先順位の違いです。誰だって見知らぬ他人よりも身内が大事でしょう? 感情の問題です。ただ、それを儒教は文書にして体系化したのです。他人より、友達より、家族。家族の中でも親を大事にする。

中国・韓国人とて日本の「鎮魂」は理解できます。
ただ、その中に戦犯者がいるとなると、急に理解できなくなります。
それは「見知らぬ他人の霊を鎮魂する」という感覚が薄く、「先祖を祀る」という感覚が強いからです。それで靖国には「戦犯」も合祀されているよ、と知ると「なに! そんなのは戦犯者を神格化しているだけじゃないか!」となってしまいます。日本人としては靖国神社の英霊の大半が戦没者ですし、戦犯者だって、戦争という時代の渦に巻き込まれた戦没者という見方だって出来るのです。別に神格化というわけじゃない。
でも中国と韓国人には「大半の戦没者の英霊」が見えない。
そういう「鎮魂」の感覚が薄いからです。
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日本・中国・韓国以外にとっての鎮魂

では儒教国以外ではどうでしょうか?
アメリカに911テロが発生し、その後、グランドゼロで沢山の被害者の魂を鎮魂するイベントがありました。その鎮魂は被害者に対して行われたものですが、グラウンドゼロでは当然ながら、ハイジャックした人も死んでいるのです。つまり加害者の霊もそこにいるはずです。では、鎮魂のイベントはハイジャック犯の神格化にあたるか? と聞かれて「そうだ」と答える人はいないでしょう。
つまり靖国神社の参拝を見て、戦犯の神格化と考えるのは祖霊信仰を重視する儒教だけなんです。

では靖国を分祀すればいいか?
だったら靖国神社を分祀すればいいのか?というとこれがそう簡単にはいきません。
その詳細はまた別に書こうと思います。
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