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応神天皇(二十四)山川林野と太子の輔け
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是時天皇、常有立菟道稚郎子爲太子之情、然欲知二皇子之意、故發是問。是以、不悅大山守命之對言也。甲子、立菟道稚郎子爲嗣、卽日、任大山守命令掌山川林野、以大鷦鷯尊爲太子輔之、令知国事。
現代語訳
(即位40年春1月8日)この時、天皇は常に菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)を立てて、太子としようと思っていました。しかし二人の皇子の心を知りたいと思っていました。それでこの問いをしたのです。それで大山守命(オオヤマモリノミコト)の対言(ミコタエ=答え)を喜びませんでした。
24日。菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)を立てて嗣(ヒツギ=次の天皇)としました。その日に大山守命(オオヤマモリノミコト)を任じて山川林野(ヤマカワハヤシノ)を掌握させました。大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)を太子の助けとして国事(クニノコト)を治めさせました。
24日。菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)を立てて嗣(ヒツギ=次の天皇)としました。その日に大山守命(オオヤマモリノミコト)を任じて山川林野(ヤマカワハヤシノ)を掌握させました。大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)を太子の助けとして国事(クニノコト)を治めさせました。
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