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応神天皇(二十)猪名部の始祖と琴のナヅノキのような音
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當是時、新羅調使共宿武庫、爰於新羅停、忽失火、卽引之及于聚船而多船見焚。由是責新羅人、新羅王聞之、讋然大驚、乃貢能匠者、是猪名部等之始祖也。初枯野船爲鹽薪燒之日、有餘燼、則奇其不燒而獻之。天皇異以令作琴、其音、鏗鏘而遠聆、是時天皇歌之曰、
訶羅怒烏 之褒珥椰枳 之餓阿摩離 虛等珥菟句離 訶枳譬句椰 由羅能斗能 斗那訶能異句離珥 敷例多菟 那豆能紀能 佐椰佐椰
訶羅怒烏 之褒珥椰枳 之餓阿摩離 虛等珥菟句離 訶枳譬句椰 由羅能斗能 斗那訶能異句離珥 敷例多菟 那豆能紀能 佐椰佐椰
現代語訳
(即位31年秋8月)この時、新羅の貢ぎ物の使者が武庫に泊まっていました。新羅の停泊していたところから、たちまち出火して、集まった船に及びました。そうして多くの船が焼かれてしまいました。それで新羅人を責めました。新羅の王はそれを聞いて恐れ驚き、すぐに良い匠者(タクミ)を献上しました。これが猪名部(イナベ)たちの始祖です。
最初、枯野船(カラノノフネ)を塩の薪にして焼いた日に、燃え残った余りがありました。その燃えなかった怪しく思って献上しました。天皇は怪しく思って(その燃えなかった余りを)琴に作らせました。その音は鏗鏘(サヤカ)で遠くまで聞こえました。このとき、天皇は歌を歌いました。
枯野(カラノ)を 塩に焼き
其(シ)が余(アマリ) 琴に作り
掻(カ)き弾(ヒ)くや 由良(ユラ)の門(ト)の
門中(トナカ)の海石(イクリ)に
振れ立つ なづの木の さやさや
最初、枯野船(カラノノフネ)を塩の薪にして焼いた日に、燃え残った余りがありました。その燃えなかった怪しく思って献上しました。天皇は怪しく思って(その燃えなかった余りを)琴に作らせました。その音は鏗鏘(サヤカ)で遠くまで聞こえました。このとき、天皇は歌を歌いました。
枯野(カラノ)を 塩に焼き
其(シ)が余(アマリ) 琴に作り
掻(カ)き弾(ヒ)くや 由良(ユラ)の門(ト)の
門中(トナカ)の海石(イクリ)に
振れ立つ なづの木の さやさや
歌の訳枯野船を塩を作るために焼き、その余りを琴に作って弾いたら、由良の港の海石で震えているナズノキ(=未詳)のようにサヤサヤと音がするよ
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解説
前のページの続き。
武庫に集まった船が新羅人の出火によって大半が焼けて、これまた日本人が切れる。それで新羅王が猪名部という職人を献上することになりました、という話と、枯野船の燃えかすから琴を作るお話し。
猪名部とは?
おそらく猪名川流域に住んだことがその名前の由来。猪名部という名を持つ人物は雄略天皇の時代にも出てきます。どうも、建築や木工といった技術者ではないかと思われます。
武庫に集まった船が新羅人の出火によって大半が焼けて、これまた日本人が切れる。それで新羅王が猪名部という職人を献上することになりました、という話と、枯野船の燃えかすから琴を作るお話し。
猪名部とは?
おそらく猪名川流域に住んだことがその名前の由来。猪名部という名を持つ人物は雄略天皇の時代にも出てきます。どうも、建築や木工といった技術者ではないかと思われます。
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