飯豊王が葛城の高木の角刺宮にて

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飯豊王が葛城の高木の角刺宮にて

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書き下し文

御子、白髮の大倭根子の命、伊波禮の甕栗の宮に坐しまして天の下治しめしき。
此の天皇、皇后無く、また御子無し。故、御名代に白髮部を定めき。故、天皇崩りし後に天の下の治しめすべき王無し。ここに日繼知らさん王を問いて、市邊の忍齒別の王の妹、忍海の郎女、またの名は飯豊の王を葛城の忍海の高木の角刺の宮に坐せき。

現代語訳

雄略天皇の御子の白髪大倭根子命(シラカノオオヤマトネコノミコト)は伊波礼(イワレ)の甕栗宮(ミカクリノミヤ)に居て、天下を収めました。
この天皇には皇后がいませんでした。また御子もいませんでした。御名代(ミナシロ=皇族の名前をつけて後世に名を残すための土地)として白髪部(シラカベ)を定めました。それで天皇が崩御した後に天下を治めるべき王がいませんでした。それで日嗣(ヒツギ=皇位)を引き継ぐ王をどうするべきかと問うたところ、市辺忍歯別王(イチノヘノオシハノワケノミコ)の妹で忍海郎女(オシヌミノイラツメ)、別名を飯豊王(イイトヨノミコ)が、葛城の高木の角刺宮(ツノサシノミヤ)にいました。
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解説

名もなき天皇
清寧天皇のとき皇統が途絶えてしまいました。それで次の天皇をどうするか?となって、急遽、市辺忍歯別の妹の豊飯王が中継ぎリリーフとして急遽、天皇となりました。
この名もなき天皇については、記述は無いですし、「◯◯天皇」という名前も付けられていません。
●天皇の名前は死後につけらえたもの。
●よって豊飯王に天皇の名がつけられていないことには意味があるはず。
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