朕には子がいない。皇子たちを嗣としよう

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顕宗天皇(七)朕には子がいない。皇子たちを嗣としよう

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原文

小楯、大驚離席、悵然再拜。承事供給、率屬欽伏、於是、悉發郡民造宮、不日權奉安置、乃詣京都求迎二王。白髮天皇、聞憙咨歎曰「朕無子也、可以爲嗣。」與大臣・大連定策禁中、仍使播磨国司來目部小楯、持節將左右舍人、至赤石奉迎。

現代語訳

小楯はとても驚いて席を離れ、皇子たちの境遇に心を痛めて、再拝(オガ)み、事情を承諾しました。供給(オサメタテマツリ)して、属(ヤカラ=一族)を率いて、慎み仕えました。それで全ての郡(コオリ)の民を使って宮を作りました。不日(ヒモエズ=日を経ず)に仮に皇子たちをその宮に安置し奉りました。すぐに京都(ミヤコ=ここでは大和)に詣でて、ふたりの皇子を向かえるように求めました。白髪天皇(シラカノスメラミコト=清寧天皇)はそれを聞いて喜び、皇子たちの境遇を嘆いて言いました。
「朕(ワレ)には子がいない。
ふたりをもって嗣(ミツギ=後継者)としよう」
大臣・大連とで策(ハカリゴト)を禁中(ミヤノウチ)に定めました。播磨国司来目部小楯(ハリマノクニノミコトモチクメベノオダテ)に節(シルシ)を持たせて、左右(モトコ=側近の)の舎人とともに赤石に行って、迎えて奉らせました。
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解説

貴種流離譚
本当は生まれが高貴な人間なのに、不幸にして下流へとおいやられ、その出自を隠していたけども、それがあからさまになって中央権力へと復帰するお話を貴種流離譚といいます。

例えば中国の三国志の劉備はそうです。
これは「物語」で萌えやすいパターンで、「史実」かというと、それはどうかと思います。権力を取った人間がのちに根拠をして無理矢理にねじ込むってこともあるでしょうしね。

それで顕宗天皇・仁賢天皇の貴種流離譚ってのは絵に描いたようなパターンですよね。父親(市辺押磐皇子)が政敵(雄略天皇)に殺されて、殺される恐れがあるから逃げていたら、その政敵が死に、政敵の子の清寧天皇には子孫がいない。そこにふたりは復帰し、皇太子となる。出来過ぎですよ。その身元を明かすシーンなんて、かなり感動的に描かれていますよね。
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