石上広高宮で即位・複数の宮

MENU
TOP>仁賢天皇(日本書紀)>仁賢天皇(二)石上広高宮で即位・複数の宮
スポンサードリンク

仁賢天皇(二)石上広高宮で即位・複数の宮

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

元年春正月辛巳朔乙酉、皇太子、於石上廣高宮、卽天皇位。(或本云「億計天皇之宮、有二所焉。一宮於川村、二宮於縮見高野、其殿柱至今未朽。」)

現代語訳

仁賢天皇即位1年春1月5日。皇太子は石上広高宮(イソノカミノヒロタカノミヤ=奈良県の天理市のどこか。石上は大和の地名)で天皇に即位しました。
ある本によると億計天皇の宮は二箇所ありました。ひとつの宮は川村。二つ目の宮は縮見の高野にありました。その殿(ミアラカ)の柱は今に至るまで、朽ちていないといいます。

古事記の対抗箇所
仁賢天皇の皇后と子息子女
スポンサードリンク

解説

弟である前の天皇の顕宗天皇もやはり複数の宮を持っていました。二人の天皇で4つの宮。顕宗天皇は即位3年で崩御。仁賢天皇も即位11年で崩御と、かなり短い時間の間に宮を持ったことになります。特に顕宗天皇は3年ですから妙です。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集