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仁賢天皇(二)石上広高宮で即位・複数の宮
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現代語訳
仁賢天皇即位1年春1月5日。皇太子は石上広高宮(イソノカミノヒロタカノミヤ=奈良県の天理市のどこか。石上は大和の地名)で天皇に即位しました。
ある本によると億計天皇の宮は二箇所ありました。ひとつの宮は川村。二つ目の宮は縮見の高野にありました。その殿(ミアラカ)の柱は今に至るまで、朽ちていないといいます。
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解説
弟である前の天皇の顕宗天皇もやはり複数の宮を持っていました。二人の天皇で4つの宮。顕宗天皇は即位3年で崩御。仁賢天皇も即位11年で崩御と、かなり短い時間の間に宮を持ったことになります。特に顕宗天皇は3年ですから妙です。
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仁賢天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 仁賢天皇(一)諱と即位の経緯
- Page2 仁賢天皇(二)石上広高宮で即位・複数の宮
- Page3 仁賢天皇(三)皇后と子息子女
- Page4 仁賢天皇(四)難波小野皇后の不敬・瓜の小刀を立ったまま渡す
- Page5 仁賢天皇(五)石上部舎人・的臣蚊嶋と穗瓮君の獄死・佐伯部を探す
- Page6 仁賢天皇(六)日鷹吉士は高麗へ・於母亦兄、於吾亦兄
- Page7 仁賢天皇(七)菱城邑の泣く女
- Page8 仁賢天皇(八)哭女と麁寸は異父兄弟・飽田女と麁寸は異母兄弟
- Page9 仁賢天皇(九)須流枳・奴流枳の献上・額田邑熟皮高麗の子孫
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