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武烈天皇(十三)樹に昇らせて弓で射って笑う・期我君と法師君
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七年春二月、使人昇樹、以弓射墜而咲。夏四月、百濟王遣期我君、進調、別表曰「前進調使麻那者非百濟国主之骨族也、故謹遣斯我、奉事於朝。」遂有子、曰法師君、是倭君之先也。
現代語訳
即位7年春2月。武烈天皇は人を樹に昇らせて、弓をもって射堕として笑いました。
夏4月。百済王は期我君(シガキシ)を派遣して調(ミツキ)を進呈しました。それとは別に表(フミ=文)を奉り言いました。
「前に調を進呈した使者の麻那(マナ=麻那君)は百済国の主(ニリム)の骨族(ヤカラ=一族)ではありません。それで謹んで期我(シガ)を派遣して、朝(ミカド)に仕えさせましょう」
その期我には子がいて、それが法師君(ホウシキシ)といいます。これは倭君の先祖です。
夏4月。百済王は期我君(シガキシ)を派遣して調(ミツキ)を進呈しました。それとは別に表(フミ=文)を奉り言いました。
「前に調を進呈した使者の麻那(マナ=麻那君)は百済国の主(ニリム)の骨族(ヤカラ=一族)ではありません。それで謹んで期我(シガ)を派遣して、朝(ミカド)に仕えさせましょう」
その期我には子がいて、それが法師君(ホウシキシ)といいます。これは倭君の先祖です。
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解説
麻那は即位6年冬10月に日本にやってきて、そのまま留め置かれている麻那君のことです。
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