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欽明天皇(三十三)吉備臣と旱岐が聖明王の策に同調
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於是、吉備臣・旱岐等曰「大王所述三策、亦協愚情而已。今願、歸以敬諮日本大臣謂在任那日本府之大臣也・安羅王・加羅王、倶遣使同奏天皇。此誠千載一會之期、可不深思而熟計歟。」
現代語訳
吉備臣・旱岐(カンキ=役職名)たちは言いました。
「大王(キミ=ここでは百済の聖明王)が述べた三つの策(ハカリコト)は愚かなわたしの情(ココロ)に叶い、響きました。今、願わくば、日本に帰って、慎み、日本の大臣(マヘツキミ)…
安羅の王・加羅の王に言って、ともに使者を派遣して、同じく天皇に申し上げましょう。これは誠に千載(チトセ=千歳)に一会(ヒトタビ)の期(チギリ=契り)です。深く思い、熟慮して計画しないわけにはいかないでしょう」
「大王(キミ=ここでは百済の聖明王)が述べた三つの策(ハカリコト)は愚かなわたしの情(ココロ)に叶い、響きました。今、願わくば、日本に帰って、慎み、日本の大臣(マヘツキミ)…
この大臣は任那にいる日本府の大臣のことをいいます。
安羅の王・加羅の王に言って、ともに使者を派遣して、同じく天皇に申し上げましょう。これは誠に千載(チトセ=千歳)に一会(ヒトタビ)の期(チギリ=契り)です。深く思い、熟慮して計画しないわけにはいかないでしょう」
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解説
ここに来て、任那の吉備臣と旱岐が、百済の聖明王に同調。時代の流れが日本の和の文化から、ゴリゴリの儒教文化へと流れていくということなんでしょうか。
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