丈六の仏像

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欽明天皇(三十六)丈六の仏像

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原文

是月、百濟造丈六佛像、製願文曰「蓋聞、造丈六佛功德甚大。今敬造、以此功德、願天皇獲勝善之德、天皇所用彌移居国倶蒙福祐。又願、普天之下一切衆生皆蒙解脱。故造之矣。」

現代語訳

この月(即位6年9月)に百済は丈六(ジョウロク=1丈6尺)の仏像を造りました。願文を作って言いました。
「聞いたところによると、丈六の仏を造った功徳(ノリノワザ)はすばらしく大きいとのこと。今、敬い、造りました。この功徳をもって、願わくば、天皇は勝善徳(スグレタイキオイ)を得られて、天皇が治める弥移居国(ミヤケノクニ=官家国=ここでは百済と任那を指す)はともに幸いを被りましょう。また、願わくば、普天(アメ)の下の一切の衆生(イケルモノ)は皆、解脱(ヤスラカナルコト)を被りましょう。そのために造ったのです」
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解説

仏教と儒教
百済は仏教を吸収したようです。
中国では紀元前6世紀に儒教が発生し、その後、仏教は西暦1世紀とか3世紀に伝わり広まっています。と、書くと中国が仏教国であるような気がしますが、ちょっと違います。

中国は「政治的な理論」として儒教を採用しましたから、政治家・官僚…つまり支配者は儒教を学びました。では庶民はどうかというと道教でした。道教は多神教で、現在の中国にもその影響はみられます。道教のメインは現在は台湾ですね。それで仏教は誰が信仰したかというと「金持ち」でした。

仏教の根本は「輪廻」です。金持ちは、「またこの楽しい世界が続くといいなぁ」と仏教を信仰したわけです。日本に伝来したのは「そういう金持ち道楽」としての仏教です。
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