良馬七十匹・船一十隻を賜う

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欽明天皇(三十九)良馬七十匹・船一十隻を賜う

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原文

七年春正月甲辰朔丙午、百濟使人中部奈率己連等罷歸、仍賜以良馬七十匹・船一十隻。夏六月壬申朔癸未、百濟遣中部奈率掠葉禮等、獻調。

現代語訳

即位7年。春1月3日。百済の使者の中部奈率己連(チウホウナソチコレン)たちが帰りました。それで良馬70匹と船10隻を与えました。

夏6月12日。百済は中部奈率掠葉礼(チウホウナソチケイセフライ)などを派遣して、貢ぎ物を献上しました。

解説

中部奈率は役職名
散々既出だけど。

朝貢とは違うのではないか
儒教的な世界観の中では、属国というのは支配国に対して「貢ぎ物」を献上します。それで搾取されているのかというと、そういうことではなくて、その何倍もの「物品」を代わりに貰うのですね。これは
「この物品を与えるから、お前の地域をちゃんと統治しろよ」
という主従関係にあたります。支配国といっても、遠い国まで支配するのは無理だし、文化風習もぜんぜん違うし、もめ事を持ち込んで欲しくないってのもあって、こういう関係を結びます。

その代わり、支配国には絶対服従です。逆らったら滅ぼされてしまいます。ようは「無礼」をすると滅ぼされるのですね。だから現代の中国が戦争をする理由って「向こうが無礼だから」ってのが中心になります。

それで、このページでは、百済の使者が帰るときに日本が「馬と船」を与えています。それで半年後にまた百済の使者が日本にきたときは百済が貢ぎ物を献上しています。ちょっと、本来の朝貢とは違う。いや、順番が違うだけなんですが、ちょっと違います。

これを見て、朝鮮や中国の人は「日本は百済の支配下」と主張しがちですが、百済の使者が日本に来てる時点で、日本の方が上なのは間違いない。

・・・いや、おそらくそういう問題ではない、のだと思います。わたしは日本は「日本式の国家運営」があったのだろうと思います。日本は中国の儒教的な国家運営とは違う論理を持ち、朝廷を運営していた。だから、この記述を「儒教的な観点」で見れば、ミスリードを起こすのです。
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