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欽明天皇(二十九)奈率得文と奈率奇麻の帰国
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冬十月、百濟使人奈率得文・奈率奇麻等、罷歸。百濟本記云「冬十月、奈率得文・奈率奇麻等還自日本曰、所奏河內直・移那斯・麻都等事無報勅也。」
現代語訳
(即位5年)冬10月。百済は使者の奈率得文(ナソチトクモン)・奈率奇麻(ナソチガマ)たちが帰りました。
百済本記によると、冬10月に奈率得文・奈率奇麻たちは日本から帰って言いました。『申し上げたところ、河内直(カフチノアタイ)・移那斯(エナシ)・麻都(マツ)たちのことは、返答の勅(ミコトノリ)は無かった、とあります
解説
長々とあった百済の任那再建に関する事情でしたが、結局百済の意見は大和朝廷には通らず、百済は朝鮮半島で孤立することになります。
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- Page25 欽明天皇(二十五)奈率阿乇得文・許勢奈率奇麻・物部奈率歌非の上表
- Page26 欽明天皇(二十六)移那斯・麻都の異動の請願
- Page27 欽明天皇(二十七)久礼山付近の実情・天朝を欺く
- Page28 欽明天皇(二十八)㖨国と卓淳が滅んだ理由・内応と弐心
- Page29 欽明天皇(二十九)奈率得文と奈率奇麻の帰国
- Page30 欽明天皇(三十)各国の執事・臣が百済へ
- Page31 欽明天皇(三十一)任那の再建はただ聖明王の決意に掛かっている
- Page32 欽明天皇(三十二)聖明王の三つの策
- Page33 欽明天皇(三十三)吉備臣と旱岐が聖明王の策に同調
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