天武天皇(三)虎に翼を着けて放った

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天武天皇(三)虎に翼を着けて放った

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原文

壬午、入吉野宮。時、左大臣蘇賀赤兄臣・右大臣中臣金連及大納言蘇賀果安臣等、送之、自菟道返焉。或曰、虎着翼放之。是夕、御嶋宮。

癸未、至吉野而居之。是時、聚諸舍人謂之曰「我今入道修行、故隨欲修道者留之。若仕欲成名者、還仕於司。」然无退者。更聚舍人而詔如前。是以、舍人等半留半退。十二月、天命開別天皇崩。

現代語訳

10月19日。吉野宮に入りました。その時に左大臣の蘇賀赤兄臣(ソガノアカエノオミ=蘇我赤兄)・右大臣の中臣金連(ナカトミノカネノムラジ)と大納言(オオキモノマウスツカサ)の蘇賀果安臣(ソガノハタヤスノオミ=蘇我果安臣)たちが送迎しました。菟道(ウジ)から帰りました。ある人は言いました。
「虎に翼を着けて放った」

この夕(ユウベ)に嶋宮(シマノミヤ)に居ました。
10月20日。吉野に到着し、居ました。この時、諸々の舎人(トネリ=従者)を集めて、語って言いました。
「私は、今、仏道に入り、修行をしようとしている。よって従って修道しようと思うものは留まりなさい。もし、お仕えして、名声を上げようと思っているものは、帰って司(オオヤケ=役所)に仕えなさい」
しかし、退去するものはいませんでした。さらに舎人を集めて、詔(ミコトノリ)を前のようにしました。それで、舎人たちは半分は留まり、半分は退去しました。

12月。天命開別天皇(アメミコトヒラカスワケスメラミコト)が崩御しました。
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解説

蘇賀
蘇我を蘇賀と書いているのは不思議な感じがします。おそらく「元ネタ」には蘇賀とあったから準拠したんじゃないかと思います。
虎に翼を着けて放った
この「虎に翼をつける」という表現は、韓非子や周書といった中国の本に見られる表現です。仮に中国の本の意味をそのままに使用したならば、「勢いが増す」という意味になります。

私たちは、「東宮は今、追い詰められている」と思っています。皇太子だったハズなのに、今や、僧侶となって仏門に入り、修行しています。これは普通の感覚では「天皇即位レース」から脱落したと思ってしまいます。しかし、当時の人は、東宮が仏門に入ったのを見て「勢いが増した!」と考えたようです。

私は「仏教」というものが「戦争」と結びついていたんじゃないか?と考えています。神道は穢れを嫌う。穢れを嫌うあまり、戦争を嫌い、兵士を嫌い、武器を嫌った。平安時代には軍隊を完全に廃止してしまいます。ところが、仏教には「穢れ」という概念が無く、いくらでも人を殺せます。

だから、この仏門に東宮が入るということが
古代においては
「虎に翼を着けて放つようなものだ!」
と捉えられたのでしょう。
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