天武天皇(二)蘇賀臣安麻侶の忠告・東宮は出家する

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天武天皇(二)蘇賀臣安麻侶の忠告・東宮は出家する

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原文

四年冬十月庚辰、天皇、臥病以痛之甚矣。於是、遣蘇賀臣安麻侶、召東宮引入大殿。時安摩侶、素東宮所好、密顧東宮曰、有意而言矣。東宮、於茲疑有隱謀而愼之。天皇勅東宮授鴻業、乃辭讓之曰「臣之不幸元有多病、何能保社稷。願陛下舉天下附皇后、仍立大友皇子宜爲儲君。臣今日出家、爲陛下欲修功德。」天皇聽之。卽日出家法服。因以、收私兵器悉納於司。

現代語訳

(天智天皇の)即位4年冬10月17日。天智天皇は病に伏しました。痛みは酷いものでした。そこで蘇賀臣安麻侶(ソガノオミヤスマロ)を派遣して、東宮(マウケノキミ=のちの天武天皇)を呼び寄せて、大殿(オオトノ)に引き入れました。その時、安摩侶(ヤスマロ)は素(モト)から東宮が好んだ人物でした。密かに東宮を顧(カエリ)みて言いました。
「注意して、発言してください」
東宮はそこに隠された謀略があることを疑い、発言を慎みました。天皇は東宮に勅(ミコトノリ)して鴻業(アマツヒツギノコト=天皇の仕事)を授けました。東宮はすぐに辞して言いました。
「私めでは、国に幸がありません。元々から多くの病気があります。どうして社稷(クニイエ=国家)を保つことができましょうか。願わくば、陛下は天下を皇后に付与してください。そして大友皇子を立てて、儲君(マウケノキミ=皇太子)としてください。私めは、今日、出家して陛下のために功徳を納めましょう」
天皇はそれを聞き入れ、許しました。その日に出家して法服(ノリノコロモ=法衣)を着ました。それで私物の兵器を取り、すべて司(オオヤケ=公)に収めました。
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解説

即位4年?
天智天皇が東宮(=大海人皇子=のちの天武天皇)に、即位を勧めて固辞するという記事は天智天皇即位10年10月の事です。にも関わらず、「4年」と書かれています。これはどーゆー事なんでしょうか。写し間違い、の可能性もあります。しかし、「十」と「四」を間違えるでしょうか。しかも歴史的に大きな意味を持つ記事です。
天智天皇と天武天皇の王朝は並立していた、って事なのかもしれません。
重複する内容と新たな事実
大海人皇子(=天武天皇)こと東宮が、天智天皇から即位を促されて、固辞するというお話はすでに天智天皇の段の終わりの方で語られています。

この天武天皇の段で新たに語られた事は
まず
蘇賀臣安麻侶(ソガノオミヤスマロ)が居て、東宮の味方であり、忠告をした事。それが東宮の命を救った事。

という新たな事実があります。
また
東宮が私的に兵器を持っていたが、それを提出した事。

です。
東宮というのは、皇太子であり次の天皇候補という意味なのですが、にも関わらず、実質的には天智天皇の政敵扱いです。
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