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天武天皇(十五)高市皇子に軍を授ける
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丁亥、高市皇子、遣使於桑名郡家、以奏言「遠居御所、行政不便。宜御近處。」卽日、天皇留皇后而入不破。比及郡家、尾張国司守小子部連鉏鉤、率二萬衆歸之。天皇卽美之、分其軍塞處々道也。到于野上、高市皇子自和蹔參迎、以便奏言「昨夜、自近江朝驛使馳至。因以伏兵而捕者則書直藥・忍坂直大麻呂也。問何所往、答曰、爲所居吉野大皇弟而遣發東国軍、韋那公磐鍬之徒也。然、磐鍬、見兵起乃逃還之。」既而天皇謂高市皇子曰「其近江朝左右大臣及智謀群臣共定議、今朕無與計事者、唯有幼少孺子耳。奈之何。」皇子、攘臂案劒奏言「近江群臣、雖多何敢逆天皇之靈哉。天皇雖獨、則臣高市、頼神祇之靈、請天皇之命、引率諸將而征討。豈有距乎。」爰天皇譽之、携手撫背曰「愼不可怠。」因賜鞍馬、悉授軍事。皇子則還和蹔。天皇於茲、行宮興野上而居焉。此夜、雷電雨甚。天皇祈之曰、天神地祇扶朕者雷雨息矣。言訖卽雷雨止之。
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現代語訳
(即位元年)6月27日。高市皇子(タケチノミコ=天武天皇の子)は使者を桑名郡家(クワナノコオリノミヤケ)に派遣して申し上げて言いました。
「御所(オワシマストコロ)から遠くに居ては、政治を行うには不便です。近いところに居るべきです」
その日に、天皇は皇后を留めたまま、不破(フワ=岐阜県不破郡)に入りました。郡家(コオリノミヤケ)に到着する頃に、尾張国司守(オワリノクニノミコトモチノカミ)の小子部連鉏鉤(チイサコベノムラジサヒチ)は2万の衆(イクサ=兵士)を率いて、帰属しました。天皇はすぐに褒めて、その軍を分けて、ところどころの道を塞ぎました。野上(ノガミ=美濃国不破郡野上郷=現在の岐阜県不破郡関ケ原町野上)に到着した時に、高市皇子は和蹔(ワザミ=関ケ原の一帯の地域。仮の宮があったらしい)から参って来て、迎えて、すぐに申し上げて言いました。
「昨夜、近江朝廷から駅使(ハイマヅカイ)を走らせて到着しました。それで伏兵で捕らえれば、書直薬(フミノアタイクスリ)・忍坂直大麻呂(オシサカノアタイオオマロ)でした。どこに行くのかと問いました。答えて言いました。
『吉野に居る大皇弟(マウケノキミ=大海人皇子の事)の対策のために、東国の軍を(味方に)起こしに派遣した韋那公磐鍬(イナノキミイワスキ)は徒(トモガラ=仲間)です。ですから磐鍬は兵が起こるのを見て、すぐに逃げ帰ったのです』と言いました」
天皇は高市皇子に語って言いました。
「その近江朝廷には左右の大臣と智謀のある群臣がいて、一緒に合議をして物事を決定している。今、朕(ワレ)は共に物事を計画するものは居ません。ただ幼く小さい孺子(コドモ)がいるだけです。どうしたらいいものか」
皇子は臂(タダムキ=腕)を攘(カキハツル=払う)して、剣をしっかりと握って言いました。
「近江の群臣が多いと言っても、どうして天皇の霊(ミカゲ)に逆らうというのでしょうか。天皇は独りだけと言っても、私め、高市は神祇(アマツカミクニツカミ)の霊(ミタマノフユ)によって、天皇の命令を受けて、諸々の将軍を率いて、征伐しましょう。どうして、防ぐことができるのでしょうか」
天武天皇は褒めて、手をとって、背を撫でて、言いました。
「怠ってはいけない」
それで鞍馬(クラオケルウマ)を与えて、軍事の全てを任せました。皇子は和蹔(ワザミ)に帰りました。天皇はここに行宮(カリミヤ)を野上に興して、滞在しました。この夜、雷電(イカヅチ)が鳴って、ひどい雨が降りました。天皇は祈(ウケイ)をして言いました。
「天神地祇(アマツカミクニツカミ)が朕(ワレ)を助けるならば、雷と雨は降るのを止める」
言い終わって、すぐに雷と雨は留まりました。
「御所(オワシマストコロ)から遠くに居ては、政治を行うには不便です。近いところに居るべきです」
その日に、天皇は皇后を留めたまま、不破(フワ=岐阜県不破郡)に入りました。郡家(コオリノミヤケ)に到着する頃に、尾張国司守(オワリノクニノミコトモチノカミ)の小子部連鉏鉤(チイサコベノムラジサヒチ)は2万の衆(イクサ=兵士)を率いて、帰属しました。天皇はすぐに褒めて、その軍を分けて、ところどころの道を塞ぎました。野上(ノガミ=美濃国不破郡野上郷=現在の岐阜県不破郡関ケ原町野上)に到着した時に、高市皇子は和蹔(ワザミ=関ケ原の一帯の地域。仮の宮があったらしい)から参って来て、迎えて、すぐに申し上げて言いました。
「昨夜、近江朝廷から駅使(ハイマヅカイ)を走らせて到着しました。それで伏兵で捕らえれば、書直薬(フミノアタイクスリ)・忍坂直大麻呂(オシサカノアタイオオマロ)でした。どこに行くのかと問いました。答えて言いました。
『吉野に居る大皇弟(マウケノキミ=大海人皇子の事)の対策のために、東国の軍を(味方に)起こしに派遣した韋那公磐鍬(イナノキミイワスキ)は徒(トモガラ=仲間)です。ですから磐鍬は兵が起こるのを見て、すぐに逃げ帰ったのです』と言いました」
天皇は高市皇子に語って言いました。
「その近江朝廷には左右の大臣と智謀のある群臣がいて、一緒に合議をして物事を決定している。今、朕(ワレ)は共に物事を計画するものは居ません。ただ幼く小さい孺子(コドモ)がいるだけです。どうしたらいいものか」
皇子は臂(タダムキ=腕)を攘(カキハツル=払う)して、剣をしっかりと握って言いました。
「近江の群臣が多いと言っても、どうして天皇の霊(ミカゲ)に逆らうというのでしょうか。天皇は独りだけと言っても、私め、高市は神祇(アマツカミクニツカミ)の霊(ミタマノフユ)によって、天皇の命令を受けて、諸々の将軍を率いて、征伐しましょう。どうして、防ぐことができるのでしょうか」
天武天皇は褒めて、手をとって、背を撫でて、言いました。
「怠ってはいけない」
それで鞍馬(クラオケルウマ)を与えて、軍事の全てを任せました。皇子は和蹔(ワザミ)に帰りました。天皇はここに行宮(カリミヤ)を野上に興して、滞在しました。この夜、雷電(イカヅチ)が鳴って、ひどい雨が降りました。天皇は祈(ウケイ)をして言いました。
「天神地祇(アマツカミクニツカミ)が朕(ワレ)を助けるならば、雷と雨は降るのを止める」
言い終わって、すぐに雷と雨は留まりました。
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